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ポール・マッカートニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

James Paul McCartney in 1964
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James Paul McCartney in 1964

サー・ポール・マッカートニー MBE (Sir James Paul McCartney, MBE, 1942年6月18日 - B型)は、イギリスリヴァプールに生まれたロックミュージシャンである。1960年代に世界を席巻したビートルズの中心メンバーで、ジョン・レノンとの作曲家コンビで代表作の多くを手がけた。

グループの解散後、70年代にはウイングスのリーダーとして、80年代以降はソロ・アーティストとして活動し、全米チャートの首位に9曲、トップ20に20曲以上を送り込んでいる。ギネスワールドレコーズには「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」「ゴールドディスクの最多保持者」として記載されている。ファッションデザイナーステラ・マッカートニーは娘。

目次

[編集] 概要

親しみやすく美しいメロディの作風に特色があり、ビートルズ時代においては「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」「オブラディ・オブラダ」「ミッシェル」など、ビートルズの代表曲とされる楽曲の多くを手がけた。

プレイヤーとしては、ベーシストとしての評価も高いが、他にアコースティック・ギターエレキギターピアノキーボードドラム管楽器をもプレイするマルチプレイヤーでもある。特にビートルズのデビュー前、スチュワート・サトクリフ在籍時にはギタリストであり、また時折ドラマーを務めたこともあったため、「タックスマン」「涙の乗車券」などビートルズ時代のいくつかの曲でリード・ギターを担当し、また「バック・イン・ザ・USSR」「ディア・プルーデンス」「ジョンとヨーコのバラード」などでドラムを叩いている。ビートルズ解散後、初のソロアルバム「マッカートニー」ではすべての楽器を自らがマルチレコーディングしたのをはじめ、ウイングスの名盤「バンド・オン・ザ・ラン」でもギタードラムを担当するなど、マルチプレイヤーぶりには特筆すべきものがある。

「愛と平和」のオフィシャルイメージでステータスを持った元パートナーのジョン・レノンと比較され過小評価されることが多いが、その音楽性は非常に幅広く、また様々な新要素を取り入れ続ける貪欲さが彼の音楽の大きな魅力を形成している。

[編集] ソロ・キャリア

[編集] ビートルズ解散直後

1970年4月10日、ポール・マッカートニーはイギリスの大衆紙『デイリー・ミラー』でビートルズからの脱退を発表。これによってビートルズは実質的に解散した。それから丁度一週間後、騒動の最中に彼は初のオリジナル・アルバム『マッカートニー』を発売する。脱退の反響が巻き起こした宣伝効果は大きく、アルバムは非常に好調な売れ行きを見せたが、ジョン・レノンからはグループの脱退宣言をアルバムの宣伝に利用したとして非難され、評論家からは作品の極めて簡素で素朴な内容を批判されることとなった。

『マッカートニー』に漂っていたアットホームな作風は、翌1971年に発表されたシングル『アナザー・デイ』及びアルバム『ラム』にも受け継がれる。妻のリンダとの連名で発表した『ラム』は前作同様商業的な成功こそ収めたものの、評論家からは手厳しい批評を受けた。当時マネージャーにまつわる訴訟問題などで険悪な関係に陥っていたビートルズの元メンバーも、『ラム』に対して皮肉じみたコメントを残している。しかしながら、この作品は現在ではその質の高い内容から、彼の傑作のひとつとして高く評価されている。このアルバムからアメリカ限定でシングル・カットされた「アンクル・アルバート~ハルセイ提督」は、1972年度のグラミー賞で最優秀アレンジメント賞を獲得した。

[編集] ウイングス

ビートルズ末期からライヴ活動再開を指向していたマッカートニーは1971年8月、新たなバンドの結成を発表する。彼以外のメンバーは妻のリンダ・マッカートニー、元ムーディー・ブルースデニー・レイン、『ラム』に参加していたドラマーのデニー・シーウェル。ウイングスと名付けられたこのグループは流動的なメンバー・チェンジを繰り返しながらも、多くのヒット作を発表し、大規模なワールドツアーを敢行するなど1970年代を通じて活躍した。詳しくは以下の項目を参照。

[編集] 1980年代

1980年1月16日、コンサート・ツアーの一環で行う予定だった来日公演のためにウイングスを随えて成田空港に入国したマッカートニーは、大麻不法所持の容疑で現行犯逮捕される。この事件をきっかけに、ウイングスのグループとしての活動は休止状態に陥った(翌1981年4月のデニー・レインの脱退表明により、自然消滅に近い形で実質的な終焉を迎える)。数日間の勾留のあと、日本からの国外退去処分を受けて本国に帰国したマッカートニーは、ソロ・アーティストとしての活動を9年ぶりに再開。同年夏に10年ぶりとなるソロ名義のアルバム『マッカートニーII』を発表し、先行シングルとして発売された「カミング・アップ」と共に成功を収めた。当時休止していた音楽活動を再開させつつあったジョン・レノンは、この曲を聴いて再起への意欲を一層奮い立たせたという。しかし同年の12月8日、そのレノンがニューヨークの自宅アパート、「ダコタ・ハウス」の前で精神疾患者のマーク・チャップマンによって拳銃で狙撃、射殺される衝撃的な事件が発生する。作曲活動のパートナーとして、ビートルズの黄金時代を共に築いた彼の突然の訃報にマッカートニーは大きな衝撃を受け、音楽活動を中断して一時期ずっと自宅に引き篭もってしまった。マッカートニーも後にジョンへの追悼歌とされる「ヒア・トゥデイ」をハリスン同様(「過ぎ去りし日々」、1981年)発表することになるが、それは1982年にずれ込んだ。

翌年の夏になって、マッカートニーはアルバムの制作を再開する。プロデューサーのジョージ・マーティンの進言により、レコーディングにはスティーヴ・ガッドやスタンリー・クラークをはじめとする豪華な演奏者が起用された。また、マッカートニーは少年時代のアイドル的存在だったカール・パーキンスや、スティーヴィー・ワンダーなどをゲストに迎えての共演にも臨んだ。こうして出来上がった作品は1982年にアルバム『タッグ・オブ・ウォー』として実を結ぶ。アルバムやシングル・カットされたワンダーとのデュエット「エボニー・アンド・アイボリー」は全米・全英のチャートで1位を記録し、日本でも首位に輝いた。また、同年にはマイケル・ジャクソンのヒット曲「ザ・ガール・イズ・マイン」でもデュエットしている。この曲が収録されたジャクソンのアルバム『スリラー』は、歴史上最も多くの売り上げを記録したアルバムとして知られる。『タッグ・オブ・ウォー』のセッションで録音されたものの、発表されなかった残りの楽曲は翌年にアルバム『パイプス・オブ・ピース』として発売される。この作品の目玉でもあったジャクソンとの共作曲「セイ・セイ・セイ」はビルボードで1位を記録し、全米チャート上では最終的にビートルズ解散後の彼のシングルとしては最も大きな成功を収めている。

1984年には映画『ヤァ! ブロード・ストリート(原題Give My Regard To Broad Street)』を制作・公開。これはマッカートニー自らが監督・脚本・音楽・主演をも手がけ、共演者にはラルフ・リチャードソンが名を連ねる意欲作であった。サントラ盤は全英1位を記録し、主題歌も英米でトップ10ヒットとなったものの、映画自体は稚拙な内容を酷評されて興行的にも失敗に終わっている。1980年代中盤には、当時売れっ子だったヒュー・パジャムをプロデューサーに起用してアルバムを制作。作曲のパートナーに元10ccのエリック・スチュアートを迎え、フィル・コリンズなどのゲスト陣と共に録音されたこの作品は1986年に『プレス・トゥ・プレイ』として発表されたが、チャート順位・売上共に不振に終わり、評論家からの評判も芳しくなかった。また、この頃を境に以前のような大きなヒット曲に恵まれなくなる。1985年のチャビー・チェイス、ダン・エイクロイド主演のコメディ映画『スパイズ・ライク・アス』の同名主題歌は、彼にとって現時点で最後の全米トップ10ヒットである。

1980年代後半には同じビートルズの元メンバーであるジョージ・ハリスンが第一線に復帰して成功を収め、「史上最大のカムバック」と各方面から絶賛されていたこともあり、マッカートニーの音楽活動は低調であると見なされた。彼は1987年からエルヴィス・コステロと曲を書き始め、10曲以上を共作する。これらの作品は当初、1作のアルバムとして発表されるという噂が立ったが、結局双方のレコードの中で小出しに発表されることになった。1989年のマッカートニーのアルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』に収録され、シングルにもなった「マイ・ブレイヴ・フェイス」や、彼が作曲を手がけたコステロのアルバム『スパイク』収録曲「ヴェロニカ」は、イギリスのチャートで中ヒットを記録した。「ヴェロニカ」は日本では後年にニュース番組のテーマ曲として使用され、コステロの代表曲の一つとなっている。また、一方でマッカートニーは少年時代に慣れ親しんだロックンロールのスタンダード・ナンバーを歌った初のカヴァー集を制作し、1988年ソ連限定で発表した。

『フラワーズ・イン・ザ・ダート』はコステロとの共作の話題性も手伝って久々のヒットを記録し、全世界で250万枚以上を売り上げた。マッカートニー夫妻はこの作品の発売後、アルバムに参加したスタジオ・ミュージシャン4人とともに10年ぶりの本格的なライヴ活動を開始する。1989年から翌年にかけて行われ、のちに『ゲット・バック・ツアー』と称されたこのワールド・ツアーでは、彼が長年演奏を躊躇していたビートルズ時代の作品がセットリストの約半分を占める割合で演奏され、大きな好評を博した。また、デビュー当時からの彼のトレードマークとして有名でありながら、1969年以来コンサートで使われることがなかった「カールヘフナー500-1」(通称『バイオリン・ベース』)を、コステロの進言で使用したことも話題になった。ツアーの一環で、1990年2月には24年ぶりの来日公演も実現している。ツアー終盤、1990年4月21日ブラジルリオ・デ・ジャネイロのマラカナン・スタジアム公演では18万人以上の観客を集め、有料コンサートの観客動員数の世界最高記録を更新した。このツアーでの演奏はライヴ盤『ポール・マッカートニー・ライヴ!!』として発売され、映像は映画『ゲット・バック』として公開された。

[編集] 1990年代

大成功のうちにツアーを終了させたマッカートニーは、ツアーの際とほぼ同じラインナップのバンドと共に数回のシークレット・ギグを行う。1991年1月にはライムハウス・テレビ・スタジオで、米MTVのテレビ番組『MTVアンプラグド』(en:MTV Unplugged)で放送するためのアコースティック・ライヴを行った。この模様は数ヵ月後にアルバム『アンプラグド(公式海賊盤)』としてリリースされるが、この番組で放送された音源をアルバムとして発表する行為はその後慣例となり、後年にはエリック・クラプトンマライア・キャリーなどによるベストセラーが生まれることとなる。

また、彼はこのころからポピュラー音楽以外のジャンルにも挑戦し、ロイアル・リヴァプール・フィル・ハーモニー管弦楽団の創立150周年を記念した初のクラシック作品『リヴァプール・オラトリオ』を上演する。アメリカ人作曲家カール・デイヴィスとの共作で、ヴォーカリストにキリ・テ・カナワとアメリカのテノール歌手ジェリー・ハドレーを迎えたこの作品は、同名のライヴ盤もリリースされた。

1993年にアルバム『オフ・ザ・グラウンド』を発表したマッカートニーは、『アンプラグド』と同じラインナップのバックバンドを率いてコンサート・ツアーを行う。『ニュー・ワールド・ツアー』と題されたこのツアーは、前回のツアーで訪れることのできなかった地域を中心にコンサートが行われ、公演の模様はライヴ盤とビデオで発売された。なお、当初はスケジュールに組み込まれていなかった日本でのライヴもこの年の秋に行われている。

1994年からは音楽活動を一旦休止し、ビートルズの歴史を振り返るドキュメンタリー作品および未発表音源集などの『ザ・ビートルズ・アンソロジー』プロジェクトに尽力する。とりわけ注目されたのが「25年ぶりの新曲発表」と大々的に報道された新録音である。マッカートニーとハリスン、スターの3人が、レノンが1970年代後半に録音したデモテープに音を重ねて完成させるというこの企画は、1980年代後半にハリスンをカムバックに導いたことでも知られるエレクトリック・ライト・オーケストラジェフ・リンの協力を経て、最終的に「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラヴ」として結実した。

1995年からはリンを共同プロデューサーに迎え、アルバム『フレイミング・パイ』を制作。スティーヴ・ミラーやリンゴ・スターの客演や息子ジェイムズの参加、ジョージ・マーティンによる弦編曲などはあるものの、基本的にマッカートニーとリンによって制作されたこのアルバムは1997年にリリースされる。この作品は全米と全英のチャート両方で高順位を記録しただけでなく、翌年の第40回グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされるなどその内容も賞賛された。また、アルバムの発売を記念して同年5月に行われたインターネットのオンライン・チャットには300万件あまりのアクセスが殺到し、当時の世界記録を樹立している。この年の秋にはEMI創立100周年を記念して書いた2作目のクラシック作品『スタンディング・ストーン』を上演し、同名のアルバムも発表した。

しかし、1995年には長年連れ添ったリンダの乳癌が発覚。3年あまりの闘病生活の末に1998年4月17日に逝去するなど、私生活では不幸な出来事にも見舞われた。マッカートニーは結婚後から彼を支え続けた愛妻の死を悼み、彼女に2作のクラシック作品を捧げている。また、生前にリンダが提案していた、1950年代から60年代のロックン・ロールのカヴァー集を1999年に『ラン・デヴィル・ラン』として発売し、年末には36年ぶりに地元リヴァプールのキャバーン・クラブでライブを行った。

[編集] 近年

Sir James Paul McCartney in 2004
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Sir James Paul McCartney in 2004

2001年ウイングス時代の軌跡を振り返るドキュメンタリー作品『ウイングスパン』を発表。2枚組の同名ベスト盤も同時発売され、アメリカでは100万セットを売り上げてプラチナ・ディスクに認定された。同年の秋にはリンダが亡くなって以来初のオリジナル・アルバム『ドライヴィング・レイン』も発表している。

2002年にはアメリカで9年ぶりにコンサート・ツアーを行う。このツアーのようすを収めたライヴ盤『バック・イン・ザ・U.S.~ライヴ2002』はアメリカでミリオン・セラーを記録した。このアルバムが発売された同年11月には、3度目のソロでの来日公演が行われた。その後彼は幾度に渡り、積極的なライヴ活動を行っている。2004年にはロシアモスクワにある「赤の広場」でコンサートを開いて話題となった。

2003年から2005年春までの長期間に渡り、マッカートニーはレディオヘッドなどの作品で知られるナイジェル・ゴドリッチをプロデューサーに迎えてアルバムを制作する。2005年の秋に『ケイオス・アンド・クリエーション・イン・ザ・バックヤード』として発表されたこのアルバムは2006年の第48回グラミー賞に3部門でノミネートされ、アルバムに先がけてシングル・カットされた「ファイン・ライン」も、同賞のソング・オブ・ザ・イヤーの候補に挙がった。

私生活では、2002年に地雷撲滅運動を進める元モデルのヘザー・ミルズと婚約を発表。前妻リンダの死後に出会った彼女とはその後正式に再婚し、2003年にはベアトリス・ミリーという名前の娘も生まれた。しかし、家庭を重視するマッカートニーと、世界を飛び回り家を空けることの多かったミルズとの関係にはすれ違いが生じた。その上、夫である彼の仕事に口を出して周囲のスタッフとトラブルを引き起こすミルズとの間には、次第に口論が頻発するようになったともいう。2006年に別居した彼等は、現在離婚に向けて調停を行っている。

[編集] 日本公演

ポール・マッカートニーは、ビートルズ解散後にソロ・アーティストとして3度来日し、ツアーを行っている。だが、ウイングスとして活動していた1970年代に彼の来日公演が実現することはなかった。もともとウイングスは1975年に初の来日公演を行うはずだった。しかし来日直前になって法務省からマッカートニー夫妻の過去の薬物による犯歴を示唆され、ビザが取り消されたために公演は中止となってしまう。それから5年後の1980年に彼は再度ウイングスとして来日したものの、麻薬不法所持の容疑で逮捕されてまたもツアーは中止された。

1980年の事件後にマッカートニーは入国管理局のブラック・リストに登録され、これにより日本には永久に入国できないことになっていた。しかし、10万枚を超えるファンの嘆願書や、彼の世界的な文化貢献の認知により、日本入国の特別許可が認められることとなった。日本での事件から10年後の1990年3月、彼はビートルズ時代以来実に24年ぶりの来日公演を果たした。日本でのツアーで、彼は東京ドームで6公演を行い成功させた。また、彼はこのツアーにスーパーマリオの生みの親である任天堂宮本茂を招待してサインを貰っている(これは、マッカートニーの息子ジェイムズが宮本のことを知っていたためである)。

1993年にはワールド・ツアーの一環として再び来日し、東京ドームで3公演、福岡ドームで2公演を成功させた。日本滞在中は、福岡で相撲観戦もしている。

2002年、9年ぶりとなる来日公演を行い、東京ドーム3公演、大阪ドーム2公演を成功させた。日本滞在中は、歌舞伎高尾山への散策や、移動に新幹線を使用し、京都金閣寺や日本料亭なども楽しんだという。

[編集] ヒストリー

  • 1969 写真家リンダ・イーストマンと結婚
  • 1970 ファーストソロアルバム発表に合わせ、ビートルズ脱退を表明
  • 1971 ウイングス結成
  • 1972 ビートルズ末期に実現できなかった、予告なしに行う抜き打ちライヴを敢行(イギリス国内ツアー)
  • 1973 ヨーロッパツアー
  • 1975 初のワールドツアーを行い、大成功を収める
  • 1979 イギリスツアー
  • 1979 カンボジア難民救済コンサート主催
  • 1980 大麻の不法所持で逮捕、ウイングスの日本公演が中止に
  • 1980 ジョン・レノンが射殺される
  • 1981 ウイングス解散
  • 1989-90 13年ぶりのワールドツアーに出る。ソロとして初の日本公演
  • 1991 MTV「Unplugged」に出演
  • 1993 ニュー・ワールドツアー。2度目のソロ日本公演
  • 1995 アンソロジープロジェクトの一環として、ビートルズの新曲を発表
  • 1995 ラジオ番組「ウーブ・ジューブ」で長期出演。自らの貴重音源を集め放送(日本ではニッポン放送などで同年12月25日から29日まで5回にまとめられたものが放送された)
  • 1997 ナイトに叙勲される
  • 1998 妻リンダ・マッカートニー、乳癌で死去
  • 2001 Concert For New York Cityに出演
  • 2002 へザー・ミルズと再婚。3度目のソロ日本公演
  • 2002-03 ワールドツアー
  • 2005 「LIVE 8」に出演
  • 2005 ワールドツアー
  • 2006 へザー・ミルズと離婚


(注;1971年~1981年の間は、ウイングスの項も参照のこと。)

[編集] ディスコグラフィ

[編集] オリジナルアルバム

※ウイングス名義のアルバムについてはこちらを参照 (チャート;英:ミュージックウィーク/米:ビルボード)

  • McCartney(1970)(英2/米3週1)
  • RAM(1971)(厳密には「ポール&リンダ」名義)(英2週1/米2)
  • McCartney II(1980)(英2週1/米3)
  • タッグ・オヴ・ウォー - Tug Of War (1982)(英2週1/米3週1)
ザ・パウンド・イズ・シンキング - The Pound Is Sinking - 」、
ワンダーラスト - Wanderlust - 」収録
  • Pipes Of Peace (1983)(英4/米15)
  • ヤァ!ブロード・ストリート - Give My Regard To Broad Street (1984)(英1週1/米21)
ひとりぼっちのロンリー・ナイト - No More Lonely Nights - 」収録
  • Press To Play (1986)(英8/米30)
  • Снова в CCCP - the russian album - (1988-旧ソ連/1991-英63/米109)
  • フラワーズ・イン・ザ・ダート - Flowers In The Dirt (1989)(英1週1/米21)
太陽はどこへ? - Ou Est Le Soleil - 」(CD盤のみ)、
ディス・ワン - This One - 」収録
  • Off The Ground (英5/米17)(1993)
  • Flaming Pie(英1/米2) (1997)
  • Run Devil Run (英12/米27)(1999)
  • Driving Rain (英46/米26)(2001)
  • Chaos And Creation In The Back Yard (英10/米6)(2005)

[編集] ライヴ盤および編集盤

  • All The Best !(1987)(英2/米62)
  • Tripping The Live Fantastic(1990)(CD2枚組)(英17/米26)
  • Trlpping The Live Fantastic-Highlights!(1990)(上記アルバムのダイジェスト版で1枚もの。アルバム未収録曲"All My Trials"収録)(英-/米141)英ではチャート・インしなかった。
  • Unplugged-The Official Bootleg(1991)(英7/米14)
  • Paul Is Live(1993)(英34/米78)
  • Wingspan(2001)(英5/米2)
  • Back In The US (2002)(2枚組)
  • Back In The World (2003)(2枚組。上記作とは一部曲目の入替・追加有)

[編集] クラシック作品

  • Thrillington(1977)

(RAM のストリングスバージョンともいうべき作品)

  • Liverpool Oratorio(1991)
  • Standing Stone (1997)
  • Working Classical (1999)
  • Ecce Cor Meum (2006)

[編集] その他

  • Strawberries Oceans Ships Forest(ファイアーマン名義,1993)
  • Rushes(ファイアーマン名義,1998)
  • Liverpool Sound Collage(2000)


Twin Freaks(ザ・フリーランス・ヘルレイザーと組んだリミックス・プロジェクト)

  • Twin Freaks(2005)(LPのみのリリース(ミュージックダウンロードは可能))

[編集] ビデオグラフィ

  • Give My Regard To Broad Street (198?) : VHS & LD & DVD
  • Put It There (1989) : VHS & LD & DVD
  • Get Back (1990) : VHS & LD & DVD
  • Going Home (199?) : VHS & LD
  • Rockshow (199?) : VHS & LD(「ウイングス」)
  • Paul Is Live (1994) : VHS & LD & DVD
  • In The World Tonight (1997) : VHS & LD
  • Live at the Cavern Club (2000) : DVD
  • Wingspan (2002) : DVD(「ウイングス」&「ポールのソロ」)
  • Back In The U.S. (2002) : DVD
  • In Red Square (2005) : DVD
  • Space Within Us (2006) : DVD

[編集] 主な使用楽器

[編集] ベース

  • カール・ヘフナー500/1(Karl Hofner 500/1)(1本目 1961年製)
最初に入手した左利き用500/1。デビュー前よりキャバーン・クラブなどで使用していたため、通称キャバーンベースとして知られる。ヘッドのロゴが縦書きになっているタイプ。リア・ピックアップがフロント・ピックアップのすぐ隣についており、二つのピックアップの間隔が狭いことが2本目との最大の違いである。それまでビートルズのベーシストだったスチュアート・サトクリフが脱退しポールがベーシストに転向するにあたり、ハンブルグの楽器店で購入。ヘフナーを選んだ理由としてフェンダーベースより格段に安価であったこと、左利き用のベースがこのヘフナーしかなかったこと、シェイプが左右対称で左利きのポールが持っても違和感がなかったこと、ボディシェイプが「ビートルズ」の由来であるカブトムシ(Beetle)に似ていることなどが挙げられている。またショートスケールで弾きやすい上に、ベースとしては非常に軽く、肩がこらないため気に入っていると言われている。1963年に2本目のカール・ヘフナーを購入後は、コンサート時にスペアとしてバックステージに待機させていた。1965年頃には赤みの強いサンバーストの再塗装を施し、破損していたピックアップのエスカッションを作り直す。1968年にはシングル「レボリューション」のレコーディングで久しぶりに使用し、同曲のプロモーションビデオでも使用。さらに1969年の「ゲット・バック・セッション」でも使用していた。「ゲット・バック・セッション」終了後に盗難にあったとされており、現在ポールはこのベースを所有していない。


  • カール・ヘフナー500/1(Karl Hofner 500/1)(2本目 1962年仕様の1963年製)
2本目に入手した左利き用500/1。1963年10月頃入手。ヘッドのロゴが横書きの筆記体になっているタイプ。二つのピックアップの間隔は1本目より広めになっている。ポールのトレードマークとして有名になったのはこの2本目である。1964年まではレコーディング・ステージ双方においてポールのメインベースとして使用された。1965年リッケンバッカー4001Sを手に入れてからはレコーディングに使用される頻度が減ったが、ステージに於いては1966年にコンサート活動を停止するまでメインベースとして使用された。1966年8月のビートルズ最後のアメリカツアーではジョージのエピフォンカジノとともにピックガードが取り外された(ポールによるとその後ピックガードは紛失した)。1967年、シングル「ペニー・レイン」のプロモーションフィルムに登場して以降はレコーディングに使用されることもなく表舞台にも一切出なかったが、1969年の「ゲット・バック・セッション」で1本目とともにメインベースとして再登場し、アップル屋上でのライブでも使用された。ビートルズ解散後およびウイングス結成後は、レコーディング・ステージともにリッケンバッカー4001Sをメインにしていたため表舞台に出ることはなかった。1974年頃のウイングスのリハーサル風景を撮影した写真の中でアンプに立てかけてあったり、ギタリストのジミー・マッカロックが逆さにして弾いているショットが残されているが、ウイングス時代を通してレコーディングに使用されたことは一度もないと思われる。
1980年、ソロ名義で発売されたヒットシングル「カミング・アップ」のプロモーションビデオの中でポールがビートルズ時代の自身に扮し、このヘフナーを抱えて登場。続いて1982年の「テイク・イット・アウェイ」のプロモーションビデオでもこのヘフナーを演奏したが、レコーディングには使用されていないと思われる。
1989年、アルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」レコーディングセッションにおいて、共作者のエルビス・コステロの勧めで再びヘフナー使用を決意。この際に本格的なリペアを施し、「マイ・ブレイブ・フェイス」「ディス・ワン」などの主要曲のレコーディングに使用。続いておこなわれたワールドツアーでは、1969年のアップル屋上ライブ以来20年ぶりにライブ演奏に使用し、ビートルズ時代のヒット曲も多数演奏した。1993年の2度目のワールドツアーからはメインベースとして、ウイングス時代の曲もヘフナーで演奏するようになり、以降コンサート・レコーディング双方に於いて再びメインベースとして使用され続けている。
なお、1993年の2度目のワールドツアーまで、ボディーサイドに1966年のビートルズ最後のコンサートツアーのセットリストが貼ってあったが、現在は剥がされている。この他にも、最近のポールのツアーでは新しいヘフナー(ピックガード付き)がスペアとして常備されているが、実際にポールが使用している写真などは確認されていない。
また近年、1964年頃にカール・ヘフナー社からポールに贈られたとされるゴールド・パーツ付きのヘフナーがオークションに出品され高額で競り落とされたが、ポール自身はこのヘフナーを「所有したことがない」と明言。実際にポールに贈られたことは事実のようであるが、このヘフナーを手にしている写真などが一切存在せず、また本人はまったく覚えていないらしい。本人が使用することなく他人に譲ったのか、ポール自身の手に渡る前に第3者の手に渡ったのかなど真相は一切明らかになっていない。


リッケンバッカー社より贈呈された左利き用ベース。トラスロッドカバーは通常の右利き用タイプなので肩に吊すと、先が上あがりになっている(通常は下さがり)。同社製ホースシュー・ピックアップが取り付けられ、ブリッジユニットはミュートが出来るようになっている。500/1と比べ硬く引き締まったサウンドが特徴。1965年の「ラバー・ソウル」レコーディングセッションからは、レコーディングにおいてのみメインベースとして使用されはじめ、1966年にはコンサートに於いてもスペアとしてバックステージに待機。1966年6月の来日公演にも持ってきていた。当初はファイア・グローと呼ばれる赤をぼかした色であったが、1967年にはジョンのギブソンJ-160E、ジョージのフェンダー・ストラトキャスターとともにサイケデリックな塗装が施され、1969年の「ゲット・バック・セッション」中に塗装を剥がされ、木の地肌を露出したナチュラル仕上げを施される。ビートルズ解散後、1971年にはボディーシェイプが削られ、全体がより丸みを帯びた姿になった。その直後に結成されたウイングス時代を通して、カール・ヘフナーに代わるポールのメインベースとして有名になった。1974年には、ビートルズ時代の1965年に損傷して一部が欠けていたピックガードを新品に交換し、ピッキングの邪魔になっていたリアのホースシュー・ピックアップをハイゲイン・タイプに交換している。
ウイングス解散以降もレコーディングやプロモーションビデオで使用され、1984年の映画「ヤァ!ブロードストリート」にも登場したが、1989年のアルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」レコーディングセッション以降はほとんど使用されていない。なお、現在の写真を見るとリアピックアップが再びホースシュー・タイプに交換されているようである。


  • ヤマハBB-1200L(Yamaha BB-1200L)
  • フェンダージャズ・ベース(Fender Jazz Bass)
  • ウォル(Wal)モデル名不明の5弦ベース
  • ケイ ジャズ(Kay Jazz)
  • ウッドベース

[編集] ギター

[編集] アコースティック・ギター

  • エピフォン・テキサン (Epiphone Texan)
  • マーティン・D-28 (Martin D-28)
  • マーティン・OOO-18 (Martin OOO-18)
  • マーティン・J-18 (Martin J-18)
  • マーティン12弦ギター (モデル名不明)
  • ギブソン・J-180 (Gibson J-180) - 通称エヴァリー・ブラザーズモデル。
  • タカミネ・NPT-010 (Takamine NPT-010)
  • アルヴァレズ・YD-88BK(Alvarez YD-88BK) - 日本のK・ヤイリの米国輸出モデル。

[編集] エレクトリック・ギター

[編集] ポール死亡説について

「ポール死亡説」とは1969年にアメリカ合衆国イリノイ州立大学の学生新聞「ノーザン・スター」(同年9月23日付)にある記事「ポールは1967年1月(11日9日水曜日朝5時 という詳しい説もある)に自動車事故で死亡している。今いるポールは替え玉だ。」というガセ記事を端に発し広まった都市伝説のひとつ。(替え玉が曲中に出てくるビリー・シアーズだと言うガセ情報も流れた。)その年までに発売されたビートルズのアルバムや楽曲に「証拠」としてこじつけの出来る箇所が数多く見つかった結果、多くの人に信じられてしまった。代表的な例は以下の通り。

シングル「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー
  • 終わり間際に聞こえる呟きが「I buried Paul(僕はポールを埋葬した)」と聞こえる。(曲を作ったジョン・レノンによるとこれは「Cranberry Sauce (クランベリー・ソース)」と言っているとのことであったが、1995年に発売された「アンソロジー2」収録のバージョンで、本当に「Cranberry Sauce (クランベリー・ソース)」と言っているのがはっきり聴き取れる。)
アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
  • 表ジャケットの花で形作られたギターは左利き用(ポールは左利き)で、弦を表す松葉が4本ある事から「ポールのベースギター」と推測され、このジャケット写真自体がポールの葬儀を暗示している。
  • 上記のベースギターをよく見るとポールの存在を確認するような(大まかな字で)「PAUL?」と表されている。
  • 表ジャケットでポールの頭上に、Issy Bonn氏の手がかざされているが、これはインドで死のサインを表す。(マフィアのサインという説もある)
  • 表ジャケットの花で描かれた「THE BEATLES」の先に「○」が描かれており、これは「BE AT LESO(LESOにいる)の意味で、LESOとはポールを埋葬した島の名前」である。
  • 表ジャケットの下の赤い服を着た像があるが、これは死のシンボルと言われているらしく、その像の4本の指は蝋人形と実際のポールを指している。
  • ジャケット見開き(CDでは9ページ)のポールの腕にワッペンを付けられていて、そのワッペンには“O.P.D.”と書いてある。これは“Officially Pronounced Dead”(正式に死を宣告)の略。(これはカナダで買った、O.P.P.のワッペンで“Ontario Provincial Police”の略)
  • 裏ジャケの写真でポールだけが背中を向け、体型が違う。また、頭上に「without you」の文字がある。(この写真撮影の際ポールはアメリカに滞在しており、ビートルズのロード・マネージャーであるマル・エヴァンスが代役を務めたため背中を向けている、と言われている)
  • 収録曲「シーズ・リーヴィング・ホーム」でポールが死んだと言われている「水曜日の朝」のことを歌っている。
  • 収録曲「グッド・モーニング・グッド・モーニング」で「お前を助ける方法は無い」と歌っているが、これはポールの事を歌っている。
  • 収録曲「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」で自動車事故が取り上げられるが、この事故を起こしたのはポールである。
  • 一番最後で聞ける、通称「Inner Groove(《レコードの》内側の溝 の意)」を逆回転させると「Paul will be back as superman」と聞こえる。これは暗にポールが死亡していることを表している。
EP(アメリカではLPアルバム)及びTV映画『マジカル・ミステリー・ツアー
  • ジャケット及び同映画での「アイ・アム・ザ・ウォルラス」のシーンでメンバー4人が被り物をして登場するが、次のアルバム『ホワイト・アルバム』の「グラス・オニオン」の歌詞によると、ウォルラスに扮していたのはポールであり、これは「ポールが死んだ」という証明。(実際にウォルラスに扮していたのはジョン)
  • 収録曲「アイ・アム・ザ・ウォルラス」の最後に聴けるリア王の台詞に「おぉ…どうしてこんなに早く死ぬ…」と言ってポールの死を表している。
  • 映画のワンシーン(ヴィクター・スピネッティが軍曹に扮し出演するシーン)および同シーンを撮影したEPのインナー写真において、ポールの前に「I was」の看板(?)があるが、これは既にポールが故人であることを示している。
  • 映画のラスト「ユア・マザー・シュッド・ノウ」のシーンで、ポールだけが胸に黒薔薇をさしており、これは死者を表す。(これは赤いバラが売り切れていたからである。)
アルバム『ザ・ビートルズ』(通称ホワイト・アルバム)
  • 収録曲「アイム・ソー・タイアード」の小さな声を逆回転すると“Turn me on, dead man”(私を刺激してくれ、死人よ)と“Paul is dead. Miss him. Miss him. Miss him.(さびしい…ポールがいなくて…)”と言っている。死人とはポールの事。
  • 収録曲「レボリューション9」の冒頭の「Number Nine」の声を逆回転して聞くと「Turn me on,dead man」と聞こえる。
アルバム『イエロー・サブマリン
  • 表ジャケットでポールの頭上に手がかざされているが、これは死者を表す。
  • 収録曲「イエロー・サブマリン」(アルバムリボルバーにも収録)の間奏で「ポールはホモだ!」と言っている。(これは「Cut the Cable! Drop the Cable」と言っているだけ。)
アルバム『アビー・ロード
  • 表ジャケットの写真でポールのみ裸足であり、これは死者を意味する。(同日に撮られた別の写真ではサンダルを履いている)
  • 表ジャケットの写真で、ポールのみが右脚を前に出しており(他の3人は左脚)、ポールが遊離して見える。(これは目立ちたがり屋のポールの発想という説がある)
  • 表ジャケットの写真で、本来左利きのポールが右手にタバコを持っており、これはポールが替え玉である証拠である。(これも目立ちたがり屋のポールの発想という説がある。また、ジャケット写真のような構図では左手にタバコを持っても隠れてしまうため、右手に持つのはやむを得ない措置とも言える)
  • 表ジャケットの写真で、後方に写っているワーゲンのナンバー・プレート「28IF」は「もし(IF)ポールが生きていたら28才だ」とのメッセージである。(実際には「281F」であり、またこの当時ポールは27才だった。これに対して「東洋思想に傾倒していたビートルズは「数え年」を使用していた」との反論まであった。胎児の頃を勘定に入れたとの反論があったともいわれる)
  • 表ジャケットの写真はポールの葬列を意味していて、ジョンは神父、リンゴは葬儀屋、ポールは死体、ジョージは墓堀り人を表している。
  • 表ジャケットの写真で、ポールが目をつぶって歩いている。
  • 裏ジャケットの写真の「THE BEATLES」と書かれたタイルにひびが入っており、グループの分裂を暗示している。
  • 収録曲「カム・トゥゲザー」で、ザ・ビートルズは4人なのに“one and one and one is three”と言っている。

「ポール死亡説」が広まった当初、本人は無視を決め込んでいたが、あまりに噂の広がりが早かったために、ついに自らがアメリカの雑誌「ライフ」誌のインタビューに応じ、「こんなのはバカげている。僕が死んだ死なないという暇があったらもっとほかにやるべきことがある。それをやるべきだ。」という声明を発表。これによりピリオドが打たれた。

なお、ポールはこの噂を聞いたばかりの頃、「『僕が死んだ』なんて大ニュースじゃないか。どうしてもっと早く僕に言ってくれないんだ」などと知人に話していた事もあったという。

なお、この噂の本当の発信源はビートルズ自身で「ジョークとして」あるいは「噂がどのように世間に広まって行くかの実験として」意図的に流されたものだ、という説を唱える者もいる。

ちなみに、1993年発売のライブアルバム『ポール・イズ・ライヴ』のジャケット写真は、ポール死亡説の根拠の一つとされた『アビイ・ロード』のジャケットと同じ、アビーロードスタジオ前の横断歩道を登場させ、タイトル(直訳すると「ポールは生きている」)も含めて、死亡説を逆手に取ったパロディとなっている。

[編集] 関連項目

ビートルズ
メンバー: ジョン・レノン - ポール・マッカートニー - ジョージ・ハリスン - リンゴ・スター
前メンバー: ピート・ベスト - スチュアート・サトクリフ
プロデューサー: ジョージ・マーティン - フィル・スペクター - ジェフ・リン
関連人物: ブライアン・エプスタイン - クラウス・フォアマン - ビリー・プレストン - オノ・ヨーコ - リンダ・マッカートニー
スタジオ & レーベル: アビー・ロード・スタジオ - EMI - キャピトル・レコード - アップル・レコード
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