ポケットビスケッツ
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ポケットビスケッツ(POCKET BISCUITS)は、日本テレビ系の当時の看板バラエティ番組、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から誕生した、スーパー音楽ユニット。通称ポケビ。中国語表記は、口袋餅乾。
音楽バンドの体裁をとり、番組内ではライバルのブラックビスケッツとの対決も好評で「解散しないで」という声もあがったが、惜しまれつつも2000年3月の日本武道館ライブを最後に活動休止。
その後、2002年3月、『ウリナリ』の最終回である「ウリナリ祭り」内で有楽町東京国際フォーラムで行なわれた特別復活ライブで一度復活ライブを行った。
2002年の時、テルが「また、絶対会うダニ~!」とさけんでいたにもかかわらず、解散ではないものの残念ながらこのウリナリ最終回を最後に一切ライブは行われていない。
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[編集] メンバー
このウリナリ以外の番組では、3人そろって番組出演することは滅多にない。
[編集] 歴史
- 1995年10月結成。Mckee(マッキー)のおまけ扱いでフィリピンでデビューの後、1996年4月17日に日本でCDデビュー。この時は、内村が「このユニットでやりたくない。」といっていたが、このユニットで裏の「MUSIC STATION」に出たい気持ちがあったせいか、2004年にNO PLANとしての出演をした。タモリは内村に対し、ウリナリ時代についての質問をしていた。
- 1997年、『Red Angel』発売時にエンディングテーマを懸けての対決。ここでブラックビスケッツが初登場。
- アルバム『Colorful』発売の後、実質的に約1年間の活動停止(休養)。
- 1998年、ブラックビスケッツのCD発売を賭けての対決に敗れ、新たなるCD発売を懸けて100万人署名運動を行い、178万4892人の署名を集める。(締切後に届いた署名を含めると200万人を超えた)その署名に基づいて発売された「POWER」は、この手の企画としては驚異的な売上となり、初のオリコンヒットチャートの1位に駈けのぼる。
- 同年、NHKの紅白歌合戦にポケットビスケッツ&ブラックビスケッツスペシャルバンドとして最初で最後の出場を果たし、ウリナリのメンバーが応援に駆け付けた。メンバー自身による生演奏を初めて披露したことでも話題になった。
- 2000年1月1日午前0時、ユーミンこと松任谷由実の年越しライブにおいて、スペシャルユニット『Yuming+Pocket Biscuits』として『Millennium』を生中継、生演奏で発表する。
- 2000年、テル(内村光良)の提案と三人で相談の結果、千秋のソロデビューに伴い惜しまれつつも活動停止。
- 2000年3月12日、千秋のソロデビューライブ後日本武道館でポケットビスケッツとしてライブを行う。
- このライブでテル・ウド千秋の今後を祈って手作りの幸せの黄色いハンカチを入場者に配る。ファンの提案で即興の卒業式が行われる。
- 2002年3月、ウッチャンナンチャンのウリナリ!!最終回イベント「ウリナリ祭り」で復活を果たした。
- (最近メンバー3人が共演・ポケビ活動したのはこれが最後)
[編集] 衣装
- 初代 - 1995年 千秋は、Tシャツにジーパン。内村・ウドは2代目の服装と似ている。(Yシャツが色違いなだけ)
- 2代目 - 1996年~1997年、Yellow Yellow Happy発売に従い、ポップで人形的な衣装に変更。
- 3代目 - 1997年、Red Angel発売に従い、変更。メンバー全員黒いゴシック系の衣装。
- 4代目 - 同年、GREEN MAN発売に従い、変更。内村・ウドは白い背広に緑のネクタイ。千秋はアフロヘアー。
- 5代目 - 同年、アルバムColorful発売に従い、変更。
- 6代目 - 1998年、POWER発売に従い、変更。メンバー全員ピンクと白と赤を強調した衣装に。
- 7代目 - Days/My Diamond発売に従い、変更。千秋はブルーを強調した衣装、テル・ウドは黒系の衣装に。
- 8代目 - 2002年、ウリナリ最終回「ウリナリ祭り」の日のみ見られた衣装。メンバー全員、Red Angelの衣装を強調した衣装だった。
[編集] ディスコグラフィー
- 『Rapturous Blue』(1996年4月17日)
- オリコン最高位20位、CD推定売上枚数29万2000枚。CD出荷枚数62万枚。
- 『Yellow Yellow Happy』(1996年9月4日)
- オリコン最高位4位、CD推定売上枚数120万6000枚。CD出荷枚数177万枚。
- ポケットビスケッツの出世作になる。
- 『Red Angel』(1997年1月22日)
- オリコン最高位2位、CD推定売上枚数109万8000枚。CD出荷枚数166万枚。
- 『GREEN MAN』(1997年6月18日)
- オリコン最高位3位、CD推定売上枚数18万7000枚。CD出荷枚数52万枚。
- リードボーカルはウドが務めている。また、共同ではあるがテルが作曲を手掛ける。
- 『POWER』(1998年7月22日)
- オリコン最高位1位、CD推定売上枚数90万5000枚。CD出荷枚数133万枚。
- 本来、1998年4月22日に新曲(My Diamond)を発売する予定だったがCD発売を掛けたブラビとの対決で敗れた為、マスターテープを破壊され、CD発売を停止されていたが番組の企画で100万人署名を達成したらCD発売許可とのことで見事、178万4892人の署名を集めて生まれた曲。
- 『Days/My Diamond』(1999年7月23日)
- オリコン最高位4位、CD推定売上枚数35万1000枚。CD出荷枚数65万枚。
- My Diamondは本来、1998年4月22日に発売するはずだった曲。CD発売を掛けたブラビとの対決で敗れた為、マスターテープを破壊されたが、CD発売を望む声が多く、番組の企画でポケットビスケッツVSウリナリ審査委員会 最後の聖戦で見事に勝利し、念願のMy Diamondを発売する事が出来た。ちなみにこのシングルがポケットビスケッツとしての最後のリリースとなる。また、My Diamondの中にある歌詞は、発表当初とCD版を比べると多少の違いがある。例として、発表時に「ラジヲ」と表記されていたのが、CD版では「ラジオ」と表記されていたり、「隅に潜む」と発表時に歌われていた歌詞が「隅に咲いた」と変更された。
- 『Millennium』(2000年1月21日)『Yuming+Pocket Biscuits』として
「Yellow Yellow Happy」は、爆風スランプがアルバムでセルフカバーをしている。
[編集] メンバーのソロCDS
- 『マーガレット』(1999年2月)
- 『青の住人』(1999年2月)
- 『まごころ』(1999年2月)
- オリコン最高位16位、CD推定売上枚数7万7000枚。CD出荷枚数15万枚
- ウドのクラシックギターのインストゥメンタル曲でウドのソロ。後にプロモーションでのインストアライブの際、当時人気だった「Something ELse」と共演する。そして、度重なる演奏ミスと番組に出た女性に恋したウドにあきれた内村が、「まごころ~その後~」と称して歌詞を作詞(CD未発売、アルバム未収録)
[編集] CDアルバム
- 『Colorful』 (1997年7月16日)9曲収録
- CD出荷枚数93万枚。
- Pink Princess]
- Yellow Yellow Happy(Album Version)
- White Summer Beach/Violet Moon
- Rapturous Blue(1997 Album Version)
- Red Angel
- Orange
- Green Man
- Rapturous Blue(New Sound English Memorial Version)
- 『THANKS』 (2000年3月24日) 13曲収録
- CD出荷枚数33万枚。
- Overture-Millennium-
- Rapturous Blue
- Yellow Yellow Happy
- Red Angel
- Green Man
- Power
- Interlude-青の住人-
- 青の住人
- マーガレット
- まごころ -THANKS Version-
- My Diamond
- Days
- ポケビのうた
[編集] VHS
- 『ポケットビスケッツ出世物語Part.1 』(1997年7月30日)
- 『ポケットビスケッツ出世物語Part.2』 (1997年7月30日)
- 『100万人署名御礼日本縦断ツアー全記録』 (1998年11月18日)
- 『ポケットビスケッツ フォーエヴァー伝説のLIVE IN日本武道館 2000・3・12 ~全てはHAPPYのために~』(2000年6月28日)
以上全て東芝EMIより発売
[編集] Book
- 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック 日テレムック』 (1997年10月) 日本テレビ放送網 出版
[編集] その他
- 『ポケビのうた』 (2000年3月12日)(テル・ウドが千秋の為に作詞し歌ったポケビ最後の曲・作曲松任谷正隆。アルバム『THANKS』収録)
- 千秋・ウドのソロ活動及び『Millennium』『ポケビのうた』を除く全ての曲に作・編曲でパッパラー河合が関わっている。
- ファイナルライブ終了後、3人は今の心境を『真っ白』『明るい感じ』そして『幸せな感じ』と笑顔で答えた。
- 『ウリナリ祭り』での1夜限りの復活でテルは復活を予感させる言葉を残す。→「また会うダニ~」と発言。
- 更にその後明かされたが、千秋から「あれは復活ではない。」と言われたらしい。
- 当時のたまごっちブームに便乗し、ポケットビスケッたと言う商品名の携帯育成ゲームを製作。
- 1997年6月にはマークスから実際に販売され、また視聴者プレゼントにもなった。
千秋がポケットビスケッツ卒業時に言った、合言葉
- 「全てはHappyのために」(Yellow Yellow Happy の一節より)
[編集] 裏話
- 「ポケットビスケッツ」というユニット名を考えたのは、メンバーのウド鈴木。
- Mckee(マッキー)のメンバーを決める際に選ばれず泣く千秋を見かねて「第二のマモーミモーを作ってやるダニ!」宣言をして、千秋と共に活動。
- ウリナリ企画ユニット(マッキー)のユニット名決定の場で、テル(内村光良)がウドを引き抜き「テル、ウド鈴木、千秋」三人のユニットを組んだ。その際、Mckee(マッキー)のプロデューサー南々見(南原)が、Mckeeのユニット名として選ばれなかった、ウドが提案したグループ名「ポケットビスケッツ」をテルが支持していた為に、ユニット名にする事を提案し、命名される。
- Mckeeは南々見が作詞をしていた様な演出をしていたのだが、「あれは、スタッフが南々見の名前で作詞をした。」と後に、雑誌取材でうち明ける。
[編集] 関連項目
[編集] ポケットビスケッツ関連外部リンク
- POCKET BISCUITS(ポケットビスケッツ日本テレビ公式サイト)