パンソリ
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パンソリ | |
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各種表記 | |
ハングル: | 판소리 |
漢字: | - |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
パンソリ |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
ローマ字表記: | pansori |
パンソリは、朝鮮の伝統芸能の1つであり、物語に節をつけて歌うものである。唱劇、劇歌とも呼ぶ。
パンソリは李氏朝鮮時代の後期、18世紀の初頭に朝鮮半島の中部以南において生じた。その起源については諸説あるが、叙事巫歌あるいは民間に説話を伝承されていた歌唱化したものという説が有力である。それがパンソリとして発展したのは、商業の発達や富裕な平民層の出現など、変動期に差し掛かった当時の社会に、儒教道徳の呪縛から自由な面白い芸能を求める気運があったと同時に、興行が成功する経済的な基盤ができていたためである。
パンソリの演唱は、唱者1人、伴奏の鼓手1人で行われる。唱者は歌の内容に合わせてパルノム・ノルムセ(身ぶり)を交えながら緩急さまざまな節をつけて歌い、間にアニリ(語り)をはさむ。鼓手は拍子をとると同時にチュイムセ(合いの手)を入れて進行させる。格別な舞台などはなく、外庭に筵を一枚引いたものが演戯場であった。
演目には次の12編があったが、現在も歌われているのは春香歌、沈清歌、興夫歌、水宮歌、赤壁歌だけである。
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これらの辞説(歌詞)は初めは単純粗雑であったが、しだいに素材を広げ、民謡、雑歌など挿入歌謡を増やし多彩になった。また愛好者が上流階級に広がるにつれてパトロンができ、その指導の下に漢詩や故事などをふんだんにちりばめた上品で教訓的な要素が加わった。そうした意味での洗練整理をした人物としては、両班階級の権三得、中人階級の申在孝などが知られている。
演者は広大と呼ばれる流浪賤民の職業的芸能人であった。広大には仮面劇や人形劇、曲芸に富むグループもあったが、パンソリ広大は上記の洗練化とともに歌客として一段高く見られるようになった。唱者として名高い者には、形成期(18世紀)の河殷潭、崔先達、全盛期(19世紀)の宋興禄、牟興甲、権士仁らが挙げられる。こうした経過によって、パンソリは諧謔、風刺、エロティシズムという庶民の興味と、両班の嗜好の両方にこたえる二重的性格を持つに至った。現代では、韓国で民族固有の芸能としてパンソリが尊重されているのに対し、北朝鮮では両班の玩弄物として否定されている。