チベットの領域に関する認識と主張
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チベットの領域に関する認識と主張では、「チベット」の記事の下方単位として、チベット亡命政府および中国政府それぞれの主張するチベットの範囲を中心として、「チベットの領域」についての認識について紹介する。
目次 |
[編集] 西蔵の枠組みとチベット
チベット亡命政府、中国政府それぞれの「現在の主張」を紹介するに先立ち、本節ではチベット人、中国人それぞれの伝統的なチベット認識について紹介する。
[編集] チベット人の考える「チベットの国土」
チベット人が伝統的に「チベットの国土」と考えてきた領域(周縁部の諸民族との雑居地帯含む)領域は、小プーと大プー、チベット三チョルカ等として一括される地域で、中華人民共和国が民族区域自治政策に基づき、蔵族の自治区、自治州。自治郷などを設けている領域の総和、(チベットの項の付図において歴史的チベットと称して提示されている領域)にほぼ等しい。
この領域の全域(もしくはほぼ全域)が、チベットに本拠地をおく単一の政権によって統合されていた期間はさほど長くないが、吐蕃王朝によるチベットの建国以来、この地域の住人たちの間では、文化的、経済的な一体性を背景として、一国としての観念が共有されてきた。たとえばカム地方の東半部とアムド地方東部の諸侯たちは十八世紀の雍正のチベット分割以降、中国の中央政府である「兵部」から土司として冊封され、彼らの所領は四川省、青海地方などに分属して「内地」に帰属するとされていた。しかし彼ら自身が編纂させた史書をみると、文殊皇帝(=清朝の君主)との関係を誇らしげに提示する一方、自分たちの所領がチベット(bod yul)から分離され、中国(rgya nag)に移管されたなどとはまったく考えておらず、一貫してチベット三チョルカの一部を構成していると考え続けていたことがわかる。
西蔵と名付けられた地域の領域は、チベット人が伝統的に「チベットの国土」と考えてきた上記の領域のうち、西南方の2分の1程度に相当する。
[編集] 中国人の用いる地域概念としての「吐蕃」と「西蔵」
チベットに対する中国語の呼称としては、吐蕃王朝以来、「吐蕃」が用いられてきた。17世紀末、清代の文献にも、当時チベットを支配していたダライ・ラマやグシ・ハン王朝の勢力を「吐蕃」と呼んだ例がみられる。このほか、チベット全体をさす清代の漢字表記としては唐古特、土伯特などもある。これに対し、漢籍における「西蔵」という呼称は、チベットの西南部二分の一程度を占めるタンラ山脈以南、ディチュ河(金沙江)以西の地域に対する呼称、もしくはダライラマ勢力の代名詞としての用例が大部分であり、チベット全土をさす呼称として用いられた例はきわめて少ない(詳細は西蔵を参照)。
[編集] 「西蔵地方」とチベット
本節では、中国歴代政権がチベットの一角に設定した「西蔵」の枠組みについて概説し(詳細は西蔵を参照)、またチベット亡命政府および中国政府による現行の主張について紹介する。
[編集] 中国の行政区画としての「西蔵地方」
中国人民政府が設置した省規模の「民族区域自治」の単位としては、内蒙古自治区、広西壮族自治区、西蔵自治区、新疆維吾爾自治区、寧夏回族自治区の五つがある。これらの呼称について、広西、新疆、寧夏は『地名+「民族自治」を行う「主体民族」の名称』というパターンであるのに対し、内蒙古、西蔵はいずれも地名である。
「西蔵」として区画されている領域に対するチベット語の呼称としてはまったく別の固有名詞「プー(bod)」が附されており、この領域を「西蔵」と称するのは、まったく中国語の呼称である。
滅亡直前の清朝や、清朝にかわって中国の政権を握った中華民国の歴代政権は、チベットのアムド地方やカム地方に、西康省や、青海省などの諸省を設け、これらを中国の「内地」と位置づけて、チベットそのものとは切り離し、「西蔵」部分のみをチベットと称する政策を採った。歴代の中国政府がチベットに関する自身の立場を世界の様々な言語によって発信する際の用語をみると、「西蔵」部分のみを指す訳語として、従来その言語でチベットに対する総称として用いられていた語彙(チベット語の「bod(プー)」、日本語の「チベット」、英語の「Tibet」等)が用いられている。中国共産党は、後述のように、当初これとは別個の「チベット」の枠組みを掲げていた時期もあったが、1949年の中国人民政府の樹立以降、「西蔵」のみを「チベット(Tibet)」と称する政策を踏襲して現在に至っている。
日本語の慣用では、外国語の固有名詞は、なるべく原音に近いカタカナ表記で、ただし漢字圏の固有名詞は、漢字表記はそのまま、漢音で発音するとされる。この慣例にのっとるなら、「西蔵」という地名は「せいぞう」と発音されるべきであるが、実際には、西蔵という漢字表記に対して「チベット」と発音する用例や、「チベット」という訳語を当てる用例が広く行われている。
[編集] 中国共産党、中国人民政府による「チベット」の枠組
中国人民政府は、現在、チベットの大部分を統治下においているが、この領域を統一的にチベットの「民族区域自治」単位とするのではなく、五つの省にまたがる形に分断し、チベット人の省級の民族自治の単位としては「西蔵」部分のみをあてがうという政策をとっている。
かつて中国共産党は、長征の際、西蔵とはディチュ河を挟んだ対岸(今日のカンゼ州)に暮らすチベット人たちを組織して「チベット人政権の全国大会」を開催させ、「チベット人人民共和国」を樹立させた。この「共和国」は当のチベット人自身の参加もすくなく、共産党軍がこの地を去るのにともない消滅したが、当時の同党が樹立を宣言していた中華ソビエト共和国において、「中華連邦」に自由に加盟し、また離脱する権利を有する「民主自治邦」として樹立されたものであった。また、1950年にはこの地に西康省蔵族自治区という一省の全域を領域とする民族区域自治単位を設立したが、1955年になると、この省を廃止して州に格下げし、四川省に併合、1965年に西蔵自治区が発足したのちも、四川省に属したまま現在に至っている。
[編集] チベット亡命政府による「チベットの統合」要求と中国政府の回答
「チベット」の枠組みに関する中国共産党および同党が樹立した中国人民政府の認識は、以上のような推移を経て変遷し、現在は「西蔵」部分のみを「チベット」、「Tibet」だと称するに至っている。同政府が出版する日本語文献において、「西蔵地方」、「西蔵自治区」などに等置される訳語として「チベット地方」、「チベット自治区」という用語が用いられるのは、以上のような背景による。
チベット亡命政府は、「西蔵」部分のみに「チベット(Tibet)」の呼称をもちいる中国政府の用例を、チベットを分割、縮小しようとするものとして非難する立場をとり、チベット問題解決のため中国政府に対して要求した「チベットの真の自治」の条件の一つとして、「チベット人の自治行政単位の統合」を挙げている。
中国政府は、チベット亡命政府の上記統合要求に対し、上記の領域が、「歴史上いちどたりとも統合されたことがない」という主旨の反論を行い、これを拒否している。たとえば、国家民族事務委員会が、この統合要求について、『北京週報』誌に対して行ったコメントは次のような内容である。
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- この考えは、以下のみっつの理由により、非現実的であり、実現不可能である。第一に、「チベット地方」と、四川・甘粛・青海・雲南の一部地域からなる諸地方は、地図の上では隣り合っていて、チベット人がまとまって共同体をいくつも形成している地域ではあるが、山脈によって物理的に隔絶されているため、歴史的に統合されたことがない。第二に、これらの多様な諸地方は経済的、文化的発展が十分ではないため、統合された経済圏をつくることができない。第三に、一つの自治区としてのサイズを考えるなら、ことなる民族集団の平等の権利が保護され、民族の一体性が強化されるべきであるにどどまらず、自治区の管理と経済的、文化的発展をも考慮せねばならない。全てのチベット人共同体を包含し、かくも広大な領域を覆うような単一の自治区を設けても、経済的、文化的発展を支えることはできずに、かえってこの地方の自治にマイナスの影響を及ぼすだろう(Tibet: Myth Vs Reality, 北京週報社, 1988, p.140)。