スズキ・カルタス
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スズキ・カルタスとは、スズキがかつて製造、販売していた乗用車のことである。4輪自動車部門では、軽自動車の製造を専業としていたスズキが送り出した初の小型乗用車である。また、価格が安いことからパトカーとして交番などによく配備された車である。
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[編集] 歴史
[編集] 初代(1983-1988年)
初代カルタスは1983年に登場。エンジンは当初直列3気筒の1000ccで、FF駆動、3ドアハッチバックであった。翌年に直列4気筒の1300ccおよび5ドアが登場した。
車重が軽いこともあり、当時の乗用車の中では省燃費の筆頭格である。質実剛健で販売価格が軽自動車並みであり、世界各国へ輸出され、米国ではシボレー・スプリントの名称で販売された。国内は軽自動車の存在により販売量は伸びなかったが、海外、特にアメリカ市場でヒットしバジェットカーとして親しまれた。国内向けには、後にホットモデルである1000ターボ('84)やツインカムGT-i('86)が追加された。
商用モデルである、カルタスバンはいすゞ自動車へもOEM供給され「ジェミネット」として販売されていた。
日本での生産中止後、製造ラインを中国の長春自動車やGMのコロンビアに存在する工場に移設し、現在でも現地生産が行われている。コロンビア仕様
[編集] 2代目(1988-1995年)
1988年にフルモデルチェンジ実施ならびに製造開始。安価な世界戦略車というコンセプトは先代から引き継がれた。1000ccの他に1300ccも追加された。ゲタ代わりの初代に高級感が加わり、価格も高くなったことから、しばらくの間、初代も平行して販売されている。北米ではジオ・メトロの名で販売されていた。
後年4ドアセダンの「エスティーム」やカブリオレが開発され、アメリカ市場では販売台数がカブリオレだけでも1万台を超える販売台数となる大ヒットとなった。
[編集] 3代目(1995-2002年)
1995年フルモデルチェンジ実施ならびに製造開始。車名がカルタス・クレセントになる(しばらくの間2代目の廉価グレードも「カルタス」の名称で併売していた関係で)。1998年のマイナーチェンジで「カルタス」に名称変更。ボディタイプは3ドア・4ドア・ワゴンの3タイプがあった。2002年に生産終了。後継車種はエリオ及び、スズキが輸入販売する、シボレー・オプトラ・ワゴンである。
[編集] CM
[編集] CMキャラクター
初代
2代目
- ロブ・ロウ(発売当初。スキャンダルにより、降板)
- 大江千里(中期型。ちなみに彼は当時スズキ提供のラジオ番組「大江千里のSUZUKIステーションキッズ」 (TOKYO FM) のパーソナリティを務めていたことがある。)
3代目
[編集] キャッチコピー
初代
- オレ・タチ・(俺、舘、/俺たち)カルタス
- ハード・タチ(ハード・舘/hard touch)・カルタス
2代目
- カルタス、千里走る。(中期型)
3代目
- 愛してクレセント(前期型)