ノート:イヴォンヌ・ロリオ=メシアン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[編集] 記事名差し戻しについて
(提案)グーグルでのヒット数から、イヴォンヌ・ロリオ=メシアンからイヴォンヌ・ロリオに差し戻すべきだと判断しましたが、戻すことが出来なくなっています。移動された際の理由が、本人がメシアンの死後に二重姓に改め、日本でも使われるようになったとありますが、まだイヴォンヌ・ロリオとする資料や音源が存在すること、ロリオとして活躍してきた経歴の長さ、またことさらにメシアン未亡人を強調しようとする本人の姿勢に何らかの恣意的な演出が見受けられること(実際に前妻デルボスはロリオの存在によってすでに日陰に追いやられているうえ、ロリオだけがメシアン夫人でないという事実からすると、デルボスの項目もデルボス=メシアンのようにしなければ不公正であり、その意味で他国語のウィキペディアがロリオ=メシアンにしていないのは卓見)などから、元来のロリオに差し戻すべきでしょう。--間久部緑郎 2006年12月14日 (木) 16:45 (UTC)
- 私自身は項目名をイヴォンヌ・ロリオ=メシアンとすべきかどうか、について特に意見を持たない日和見主義者ですが、ただ発見したことがらをご参考までに。
- Grove Music Onlineの項目名はYvonne Loriodで、二重姓を名乗ったとかそういった記述は見当たらないようです。
- 細かいことですが本文中には「デルボスが他界した1959年に、メシアンの後添えに迎えられた」とありますが、oliviermessiaen.netの年譜では、1 July 1961に結婚、教会(?)での式は3 July 1961とあるようです。
- --にごう 2006年12月14日 (木) 23:56 (UTC)
- ご指摘の2.に関する部分は誤訳でしたので、すぐ差し替えます。---間久部緑郎 2006年12月15日 (金) 12:29 (UTC)
-
- 2度目の移動を行った者ですが(差し戻し不能にしてすみません)、そういうことであれば差し戻しを支持します。--Uraios 2006年12月19日 (火) 11:36 (UTC)
-
-
- まず、ロリオ本人が、メシアンの去世後にYvonne Loriod-Messiaenと名乗っていることにつきましては、多くの著作物で確認できます。皆さんが著作物を調べなくともネット上ですぐに確認できる記述であれば、例えば、メシアン愛好家による研究熱心な信頼のおける以下サイト内ページにおいて、『イヴォンヌ・ロリオ=メシアン(メシアンの死後、彼女はこう名乗るようになった)』と確認できます。
- そして、以下の5点を私は信頼できる資料として皆様に提示したいと思います。
-
- メシアンの逝去後、日本語版に於けるCDなどの表記が、再販の際に「イヴォンヌ・ロリオ=メシアン」と改められる動きが見受けられた点。(現在では「イヴォンヌ・ロリオ」のまま放置する版も多くあり、当時より改稿の動きは引いた現在は、両記が混在している状態である。)
- 「コンセール・ア・キャトル」の日本初演の際のプログラムにおいて、「イヴォンヌ・ロリオ=メシアン」と表記されていた点。
- 1995年のフランスに於けるメシアン祭(Festival Messiaen)のパンフレットにおいては、Yvonne Loriod-Messiaenと表記されている点。
- 昨今のメシアン・コンクールに於ける要項パンフレットにおいても、審査員名にはYvonne Loriod-Messiaenと表記されている点。
- ネット上ですぐに確認できる記述であれば、例えば、メシアン・コンクール公式サイト上において、2000年の審査委員長はYvonne Loriod-Messiaenと表記されており、2003年の審査委員長は代替わりとして、第1回メシアン・コンクールの優勝者ベロフに委ねたものの、審査員の中にやはりYvonne Loriod-Messiaenの表記が確認できる点。
-
- 以上より、少なくとも当人の意思により、メシアンの絶息後はYvonne Loriod-Messiaenと名乗って活動を続けていることが判明するわけです。即ち、音楽家として公式な名前を、辞書内では、当人が希望する最新の形を尊重して表記するのが好ましいか、もし本人の意思が第3者の判断によって否定されるのであれば、説得力ある論理と理由とがなくてはならないでしょう。
- まず、Googleでのヒット数で信頼性や正統性を計ろうとする論理が理解できません。Googleでは、ネット世界だけの検索数の目安でしかなく、更に、その検索結果が、正しく検索されている保証もなく、そしてネット上の全情報が信頼できるものではありません。また、「イヴォンヌ・ロリオ=メシアン」、「イヴォンヌ・ロリオ=メシアン(=が半角の場合)」、「イヴォンヌ・ロリオ・メシアン」、「イヴォンヌ・ロリオ-メシアン」などと検索しても、連結された1つの単語として検索されず、検索時に分割されてしまう点も考慮に入れて、検索数を捉えなくてはなりません。
- 世に出回っている表記の件数比重だけで、記事名を決定するのも、あまり好ましくは感じません。小生としましては、本人の意思と、最終的な(最新の)公式な活動名が尊重されるべきと判断します。彼女の永い演奏活動から鑑みますと、ほんの晩年に14年ほど改名しただけですから、従来の著作物が改訂されない限り、比重で考えればYvonne Loriod表記の方が多くなるでしょうが、そのことによって記事名を決定づけるべきどんな理由がありますでしょうか?実際的な便利さですか?検索のしやすさですか?小生は、記事名は正しくあるべきだと思い、2次的以降の単語はリダイレクトで処理されるべきだと考えますが、その際、どれを「正しい」と判断すべきか、基準が分かれるところかもしれません。少なくとも、従来の「イヴォンヌ・ロリオ」はリダイレクトによって「イヴォンヌ・ロリオ=メシアン」に導かれることで、検索時の問題は解消されていると思いますし、記事内に二重性を名乗っている内容に触れていれば、本人の最新の意思を尊重した「イヴォンヌ・ロリオ=メシアン」を記事名にした方が、より親切だと感じます。
- 間久部緑郎様の発言「ことさらにメシアン未亡人を強調しようとする本人の姿勢に何らかの恣意的な演出が見受けられる」とは、具体的には何を根拠にされていらっしゃいますか?そう主張されるに相応しいだけの情報を列挙願います。まさか、個人的な見解ではないですよね?また、「恣意的」とは「その時々の思いつきで物事を判断するさま」という意味ですが、誤用されていらっしゃいませんか?
- 間久部緑郎様の発言「実際に前妻デルボスはロリオの存在によってすでに日陰に追いやられているうえ、ロリオだけがメシアン夫人でないという事実からすると、デルボスの項目もデルボス=メシアンのようにしなければ不公正であり」につきまして、それが「イヴォンヌ・ロリオ=メシアン」という記事名にすべきではないという立場の根拠としては、あまりにも独断的に感じます。なぜなら、仮にデルボスが、ロリオの存在によって日陰に追いやられていると仮定しても、そこに、実力の違いや、活動暦・活動の量・活動年数・世への貢献度などを否定することはできず、仮にデルボスがロリオよりもずっと有能だったとしても、世が人をどれだけ評価するかについては、世間が決めることではないでしょうか?そうでなければ、この世に隠れた有能な人材は、全て正統に評価して取り上げなければ間違っているという論理ができあがってしまいますが、実際にはそうでないのが社会の摂理ではありませんか?個人的な感情がおありなのかもしれませんが、仮にロリオに悪意があってデルボスの存在を虐げようとしているとしても、それに反抗して、デルボスの評価や認知度を不当に下げないために「イヴォンヌ・ロリオ=メシアン」という名をロリオに使わせるべきでないと第3者が働きかけるのであれば、その人はデルボス党の情報操作員のようなものです。仮に、あの世というものがあって、そこでデルボスが「『イヴォンヌ・ロリオ=メシアン』と名乗るなんて卑怯よ!」と言っているとしても、それを公平・不公平、公正・不公正と第3者が判断すべきではなく、名乗るのはロリオ次第ではないですか?おまけに、ロリオに、デルボスの存在を押し消そうという意図があることさえ、私はどの情報からも見聞きしたことはございませんが、信頼すべき情報源があるのであれば、ご提示願います。
- 間久部緑郎様の発言「他国語のウィキペディアがロリオ=メシアンにしていないのは卓見」とありますが、ウィキは投稿型の辞書であり、全ての記事内の全ての文の内容や判断、配慮が信頼できる最終結論とは断言できませんが、そこにおける情報を取り上げて、やみくもに見解を展開されても、あまり説得力はありません。「卓見」と判断するだけの理由が全く書かれていませんが、どのような意味で卓見なのでしょうか?他言語版では、明らかにスタブ状態の記事ですが、それ故にリダイレクトも作成されていませんから、Yvonne Loriodでの記事名が現状ではスマートかもしれません。しかしながら、内容がもっと厳密さを求めるほど充実すれば、記事名を厳密に本人の最新の活動名に従ってYvonne Loriod-Messiaenとし、世間に於いて旧来の姓が氾濫していることを踏まえて、Yvonne LoriodからリダイレクトによってYvonne Loriod-Messiaen記事へと誘導すべきと判断します。勿論、日本語版においてもこのような形が最終的に好ましいと、私から1票主張させていただきます。--音理捜査 2006年12月20日 (水) 00:04 (UTC)
-
[編集] メシアンとの結婚に至る経緯について
ひときわ敬虔なカトリック信者であったメシアンは、その私生活も神がかったような言動に包まれていたと、多くの関係者が著作物内でも言及していますが、そのメシアンが、デルボス存命中にロリオと男女の仲にあったとか、並行して恋愛感情を持っていたとか、長期間病床に伏せていたデルボスに飽きてロリオとの愛を育んでいたとか、デルボスが亡くなることを待ちかねていたかのように結婚したとか、そのような不貞行為を臭わせるような以下の記述について、賛同しかねます。
-
- 最初のメシアン夫人クレール・デルボスが精神を病むと、メシアンの愛人としてその創作活動を支えるようになり、デルボスの死後にメシアンと結婚した。
-
- メシアンとは、その先妻クレール・デルボスが長い療養生活を送っている間に、師弟として協力関係を深めるうちにやがて男女としての仲も深まり、デルボスが他界した1959年に、メシアンの後添えに迎えられた。
-
- メシアンとは、その先妻クレール・デルボスが長い療養生活を送っている間に、師弟として協力関係を深めるうちにやがて男女としての仲も深まり、1959年にデルボスが他界すると、メシアンの後添えに迎えられ、1961年に晴れて夫婦となった。
すぐに引用箇所を特定するには労が伴いますから、正確な引用ではありませんが、クロード・サミュエルとの対談の中でメシアンは、振り返れば過去に思い残しも増え、歳を重ねれば重ねるほど人は美しくなるものでは決してないという内容の、ひときわ誠実に生きる態度を言明しています。これは軽々しい発言ではなく、究極の誠実さを追求して生きるメシアンだからこそ、僅かな失敗さえも悔いて生きる態度を表している発言です。メシアンには不倫はして欲しくないという個人的な願いで申し上げているのではなく、これだけ重い発言を口にできるだけの聖人的な彼が実際にそのような不貞感情を、何がしの作曲家の俗っぽいスキャンダルのように起こしていたというような情報を、私は微塵も見聞きしたことはありませんし、入手できる資料から存じているメシアン像から推測すると、不倫などは、全くもってあり得ないような無縁な話です。それよりも、感銘を受けるような言動についての言及ばかりが世に出回っていますが、実際にデルボスの落命後、メシアンが再婚するまでにブランクがあります。その間に初めて二人が男女の仲になり始めたということではなくて、デルボスの存命中に既に二人が男女の仲になっていたということを証明できるだけの、信頼のおける資料がもしあれば、ぜひとも提示していただきたく存じます。
私の推測ですが、投稿者は、ロリオやメシアンについての理解が不足したまま、ウィキ英語版の全文を不正確に訳し、少しの知識を踏まえて想像を膨らませた記述を投稿したものではないかと理解しております。その根拠に、以下2点は、その長さと量、内容と進行において、非常に酷似しております。また、このノート・ページ内に於きまして、同投稿者が別ユーザーからの質問に対し、「誤訳」という発言も確認できることから、*2006年12月6日 (水) 21:44版は、創作を含む不正確な翻訳投稿と思われます。
- Yvonne Loriod (born 20 January 1924) is a French pianist who became the second wife of composer Olivier Messiaen.
- She played the premieres of everything that he wrote for piano after the early 1940's. She is generally considered to be the most important interpreter of Messiaen's piano works.
- イヴォンヌ・ロリオ(Yvonne Loriod, 1924年1月20日 - )はフランスのピアニストで。1940年代に、当時完成されていたオリヴィエ・メシアンのピアノ曲をすべて初演した。最初のメシアン夫人クレール・デルボスが精神を病むと、メシアンの愛人としてその創作活動を支えるようになり、デルボスの死後にメシアンと結婚した。
- 一般的にメシアンのピアノ曲の権威と見なされている。
基本方針とガイドラインには、「あなたが精通していること、または学習しようとしていることについて寄稿する」とあります。もし、詳しくない内容について投稿したり翻訳する際には、はっきり判っている内容までで謙虚に留めておくのが望ましいのではないかと存じます。
ロリオとメシアンの不貞行為を証明すべき資料元をご提示いただけないようであれば、それを、投稿者による独断的な見解と見なし、その内容を削除させていただきたいと存じます。なぜならば、それが事実に反することが証明されれば、明らかに不当な名誉毀損に該当するでしょう。本来ならば、問題回避のために一旦、該当箇所を即刻避難させるべきでしょうが、それは投稿者ご本人にお任せいたします。
また、知識不足に要因する創造的記述なのであれば、謙虚に内容を削除・改訂されることを投稿者ご本人に嘱望致します。--音理捜査 2006年12月20日 (水) 00:04 (UTC)