アニメージュ
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アニメージュ(Animage)は徳間書店から1978年5月27日に創刊された月刊アニメ雑誌である。毎月10日発売。略称はAM。
現存するアニメ雑誌では最古参にあたる。いわゆるアニメ雑誌三強(御三家)、10日売りアニメ雑誌の1誌である。
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[編集] 沿革
幼年向けのテレビ情報誌『テレビランド』の徳間書店児童少年編集部はかねてより新雑誌の発売を構想。ブームに当てこんだテレビランド増刊『ロマンアルバム・宇宙戦艦ヤマト』が40万部を記録。これが決め手となり、月刊のアニメ雑誌を創刊する許可が下りた。創刊編集長の尾形英夫の命名により、「animation」と「image」をミックスした「アニメージュ」に誌名が決定。高級感を出すために価格は580円とあえて高めに設定したが、創刊号の1978年7月号は7万部を完売し、たちまち25万部にまで成長したという。
1980年代までの同誌は編集方針の一つにクリエイターにスポットライトを当てることがあった。アニメ雑誌ではいち早くメディアミックス展開を仕掛け、押井守のビデオアニメ『天使のたまご』、安彦良和の映画『アリオン』の製作をバックアップしていた。しかし、何と言っても、一部のマニアのみに知られる存在だった宮崎駿の特集を誌面でいち早く組んだことが特筆されるだろう。その後、宮崎駿に漫画『風の谷のナウシカ』を連載させ、これがスタジオジブリ設立に繋がっていった。スタジオジブリ代表取締役の鈴木敏夫はこの時の担当編集者で、徳間書店第2編集局を統括するようになった尾形英夫創刊編集長に替わって、実務を取り仕切っていたという。
かつては月間アニメ番組放送情報コーナーでは、各番組ごとに競合他誌には無かった「制作関係者などからの裏話やコメント」が掲載されていたが、現在では廃止されている。
また、スカイパーフェクTVのファミリー劇場では『月刊アニメージュTV』が月1回更新で放映されている。
[編集] 歴史
- 1978年5月27日(7月号) 創刊。
- 1980年1月10日(2月号) 第1回アニメグランプリ発表。
- 1982年12月 アニメージュ文庫(AM文庫)を創刊。
- 1998年6月10日(7月号) 創刊20周年。判型を現在のA4変型判に拡大、誌名を英表記の『Animage』に変更。
- 2002年6月10日(7月号) 誌名をカタカナ表記の『アニメージュ』に戻す。
[編集] アニメグランプリ
アニメグランプリは1979年から始まった読者の人気投票によって決まるアニメーションの賞である。毎年6月号で発表を行う。アニメ作品以外にも声優、アニメソングも受賞の対象としている。1980年は上半期と下半期に分け、2004年までに26回を数えている。現在は誌面で結果発表を行うのみだが、第3回から第10回までは日本武道館で大々的に表彰式と声優・歌手によるイベントを実施した。イベント中断の理由は、昭和天皇の病状悪化による自粛である。
これに対抗する形で、1983年から競合誌の『アニメディア』『ジ・アニメ』『マイ・アニメ』『月刊OUT』などが手塚治虫を担ぎ出し、「日本アニメ大賞」を制定、同時にイベント「日本アニメフェスティバル」を実施して、毎年4月に表彰を行っていた。日本アニメ大賞側はアニメグランプリと統合の意向を持っていたが、かなわずに1990年の第7回を最後に終了している。
[編集] 歴代グランプリ作品
- 第1回(1979年) - 機動戦士ガンダム
- 第2回(1980年上半期) - 機動戦士ガンダム
- 第3回(1980年下半期) - 伝説巨神イデオン
- 第4回(1981年) - さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅
- 第5回(1982年) - 六神合体ゴッドマーズ
- 第6回(1983年) - 劇場版クラッシャージョウ
- 第7回(1984年) - 風の谷のナウシカ
- 第8回(1985年) - ダーティペア
- 第9回(1986年) - 天空の城ラピュタ
- 第10回(1987年) - 聖闘士星矢
- 第11回(1988年) - となりのトトロ
- 第12回(1989年) - 魔女の宅急便
- 第13回(1990年) - ふしぎの海のナディア
- 第14回(1991年) - 新世紀GPXサイバーフォーミュラ
- 第15回(1992年) - 美少女戦士セーラームーン
- 第16回(1993年) - 幽☆遊☆白書
- 第17回(1994年) - 幽☆遊☆白書
- 第18回(1995年) - 新世紀エヴァンゲリオン
- 第19回(1996年) - 新世紀エヴァンゲリオン
- 第20回(1997年) - 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 THE END OF EVANGELION
- 第21回(1998年) - 機動戦艦ナデシコ The Prince of darkness
- 第22回(1999年) - カードキャプターさくら[第2期]
- 第23回(2000年) - 幻想魔伝 最遊記
- 第24回(2001年) - フルーツバスケット
- 第25回(2002年) - 機動戦士ガンダムSEED
- 第26回(2003年) - 鋼の錬金術師
- 第27回(2004年) - 機動戦士ガンダムSEED DESTINY
- 第28回(2005年) - 機動戦士ガンダムSEED DESTINY
[編集] 歴代編集長
- 初代…尾形英夫
- 2代目…鈴木敏夫
- 3代目…武田実紀男
- 4代目…荒川進
- 5代目…渡邊隆史
- 6代目…松下俊也
- 7代目…大野修一
- 8代目…松下俊也(復帰)
[編集] アニメージュ出身者
アニメージュ編集部は多くの人材を輩出している。設立に深く関わるスタジオジブリにはプロデューサーの鈴木敏夫、高橋望。評論家、編集者、ライターのササキバラ・ゴウ。角川書店『ガンダムエース』編集長の古林英明などである。また、第5代編集長である渡邊隆史が角川書店の招聘によってアニメージュ編集長を辞してライバル誌である月刊ニュータイプの編集長に就任したことはファンを驚かせた。後に評論家・漫画原作者となる大塚英志は「テレビランド」のカット描きを経て、アニメージュ編集部の契約編集者となり、アニメージュの別冊として出された漫画雑誌の編集に携わった。
また、ファン時代あるいはセミプロ時代にアニメージュに関わっていた者も多い。創刊当初の編集部は『週刊アサヒ芸能』出身者が多く、アニメの情報には疎いため、大学生のアニメファンを編集部に出入りさせ、アニメファンの嗜好や情報をリアルタイムで吸い上げていた。特集記事や企画の多くはその成果で、当時の誌面にはアニメファンの熱気が伝わっている。池田憲章、徳木吉春、原口正宏、町田知之、中村学、大沼弘幸、小黒祐一郎らは現在でも業界で活躍している。バンダイの「橋本名人」として知られたスクウェア・エニックス執行役員の橋本真司、キングレコード常務取締役の大月俊倫も学生時代にアルバイトで働いていた。また、現在は脚本家を務める吉野弘幸も、同誌のライターを高校教師から転職して務めていた時期があった。
[編集] 増刊
- パロット
- 1980年12月31日発売。ライターの殆んどが月刊OUTと被っていたため、同誌と殆んど区別がつかなかった。
- アニメージュ文庫
- 1982年に創刊されたヤングアダルト(ライトノベル)系文庫。略称であるAM文庫という呼称が用いられることもあった。主にアニメのノベライズ版やアニメ系の脚本家によるオリジナル作品が多かったが、ライバルであるスニーカー文庫や電撃文庫に押される形で衰退し、1998年を最後に実質刊行を停止して2000年にはよりSF色の強い徳間デュアル文庫に事実上の衣替えをした。
- VOICE ANIMAGE(ボイス アニメージュ)
- 1994年創刊。声優グランプリ(主婦と友社)に対抗して発刊された声優専門の増刊。数ヶ月間隔で発刊されていたが、編集長であった古林英明が当時の本誌編集長の渡邊隆史とともに角川書店へ移籍し、VOICE NEWTYPEを立ち上げた事で消滅。更に別途でアニラジを取り上げた「VOICE RADIMAGE(ボイス ラジメージュ)」も発刊されていた事もある。
- A☆Princess
- メガミマガジン(学習研究社)に対抗して発刊された萌えアニメ・ギャルゲー特集増刊。季刊ペースで刊行予定であったが、Vol.3は発売されず掲載予定のピンナップはアニメージュ本誌に収録された。
[編集] 関連書籍
[編集] 関連項目
- 鈴木敏夫
- 萌える英単語 ~もえたん~(2004年2月号付録『ぷちもえたん - Appendix of Animage -』)
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