もんじゃ焼き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
もんじゃ焼き(もんじゃやき)は東京の下町と埼玉県東部、群馬県東部と栃木県南部で見られる料理。主に間食に食べる。焼くときにタネで文字を書いて遊んだことから「文字焼き」と呼ばれ、それが「もんじゃ焼き」となった。
目次 |
[編集] 基本的な作り方
- まず鉄板を熱し、キャベツなどの野菜をメインとした具を焼く。
- その後、環状の土手を築くように具をまとめる。
- 土手の中央部に、小麦粉を水でゆるく溶いた物を流し込み焼く。
- ある程度火が通ったらできあがり。小さいコテで周りの半焼け部を押さえつけ、貼りついてきた部分を食べる。
このコテはお好み焼きで使用される物と同じ形だが大きさはかなり小さく(幅20~30mm、長さ10~15cm)、コテの裏側に貼りつけてそのまま口に持っていって食べられる。(このコテは、通称「はがし」と呼ばれている)
[編集] 歴史
明治時代には記述があったと伝えられるが、起源は不明である。1819年刊『北斎漫画』に、「文字焼き屋」の挿絵があり、この時代既に江戸にもんじゃ焼きに類するものがあったことが分かっている。 東京では、東京都台東区浅草近辺が発祥地という説が根強いが、群馬県側では、発祥地は群馬であり、特産品のうどんを作った際の余りのうどん粉を水で溶いて焼いたのが起源だと主張している。いずれにしても、広く認知されるまでは、東武伊勢崎線沿線のみにあった料理であった。東京都でも、江東区・台東区・北区周辺では多く食べられているが、大田区・杉並区などでは専門店の数が激減する。一般的に東京山の手地区では、繁華街の飲食店などでもんじゃ焼きの店は確認できるものの、近年オープンした日の浅いもので、同じ東京都内でも伝統的にこれらの地域への浸透は低い。
埼玉県でも同様で、久喜市にはもんじゃ焼きはあるが、行田市(行田にはフライなど、独特の料理が存在する)にはない。東京発か群馬発か起源は不明確だが、いずれにしても東武伊勢崎線を通して伝わったものと考えられる。
東京地方と群馬地方のものは若干内容が異なり、群馬ではキャベツは小麦粉を溶いた粉の中に具をすべて混ぜて焼く。具で土手は作らない。また、具の量も非常に少なく、そもそも土手にできるほどは入っていない。ただし、専用のコテは、東京も群馬も同じものを使用する。お好み焼きより粉を溶くときの水の量は多めである。味付けは、溶いた粉の中にソースまたは醤油を入れる。伊勢崎市では、かくし味としてイチゴシロップを入れ甘辛くすることが多い。
東京界隈では、下町地区にもんじゃ焼きを供する店舗がいくつも存在し、上記のように発祥地の一つの説にもなっている浅草界隈や中央区の月島界隈に特に顕著であり、特に月島は「もんじゃ焼きの街」として地域の名物として人々に認知され、もんじゃ焼きの振興会も存在する。ただ、もんじゃ焼きの店舗でも、もんじゃ焼きのみを供するのではなく、多くは兄弟分の食べ物でもあるお好み焼きも供している店が一般的である(ただし、焼きそば関連がないので、広島風お好み焼きやモダン焼きはメニューに掲げられていることは少ない)。
近年では数を減らし続けている駄菓子屋には、昭和初期から中期頃までは、大抵もんじゃ焼きの鉄板があり、うどん粉を水で溶き味付けしただけのものを、当時の子供達はよく食べていた。お金に余裕がある時は、駄菓子屋で売っている、餡子玉や干したイカ等を、上に乗せて食べていたといわれている。
このようにもんじゃ焼きはかつては下町を中心とした子供達に親しまれていたが、近年は、食文化の変遷から子供達の食べ物としてのもんじゃ焼きが遠のいてしまった。しかし、最近では東京の下町地域の伝統的な食べ物として、そのターゲットが観光客やサラリーマンなどに代わり、大人の酒のお供として供されるようになったが、かつての全盛期に比べるとやはりその数は減っているといえる。もう一つ原因を挙げるとすれば、価格に原因がある。一杯あたり1000円前後と原価を大幅に上回る価格設定であるので、子供達にとっては高すぎ、元来のおやつ代わりという域を脱してしまっている為でもある。他方で1988年生まれの若いタレントである新垣里沙がもんじゃ焼きへのこだわりをテレビで幾度も熱く語るなど、若い層の間での人気も決してなくなったわけではない。
[編集] 関連商品
- ベビースターもんじゃ焼き - おやつカンパニーの地域限定商品で、袋麺の様なパッケージに、発泡スチロールのトレイと食品が入っており、湯または水で練って食べる。
- ベビースターもんじゃ焼きせんべい - これもおやつカンパニーの地域限定商品だが、そのまま食べる菓子。
[編集] 関連項目
- 食感がもんじゃ焼きに酷似。ウスターソースで味付けすると、味までもんじゃ焼きそっくりになる。
- パオモー
- 下町出身ということもあり、sakusakuMC時代に熱く語ったことがある。