ノート:あずまんが大王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2003.10.15 百科事典の建前上、作品の登場人物の紹介は記事に含めない方がよいと思われるため、本文からノートに移した。あまりにファンサイト的であるし、また例えば文学作品の解説でも一般に人物紹介は見られないからである。作品内容についての記述は敢えて「あらすじ」程度に抑える方が百科事典としては適当であろう。「ウィキペディアは何でないか」参照。
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[編集] 登場人物
注意: ウィキペディアにはネタバレがあります:4コマ漫画という性質上、ネタバレは特に避けるべきであり、記事の執筆には細心の注意を払っているが、ここに一応の注意を喚起しておく。
- 滝野智(とも)
- 自称「暴走女子高生」。いつも元気いっぱいにはしゃぎまわっており、度が過ぎて周囲に迷惑をかけることもしばしば。ちよちゃんに意地悪するのが好き。よみとは小学校以来の幼馴染み。アニメ版の声優は樋口智恵子。
- 水原暦 (よみ)
- 勉強も運動も得意。理知的で大人の雰囲気を漂わすが、食べ物の誘惑には弱く、よく体重を気にしている。ともとは小学校以来の幼馴染み。アニメ版の声優は田中理恵。
- 春日歩(大阪)
- 大阪からの転校生。そのまま「大阪」という愛称を命名された。勉強も運動も苦手だが、天然ボケゆえか柔軟な発想?が得意。アニメ版の声優は松岡由貴。
- 榊
- 勉強もスポーツもこなす上にスタイル抜群。いつもクールで無口なため近寄りがたいと思われることもあるが、実はさびしがり。動物など可愛いものが大好きだが、なかなか報われない。アニメ版の声優は浅川悠。
- 神楽
- スポーツ少女。榊さんをライバル視している。豪快な振る舞いが多いが、根は真面目で繊細。アニメ版の声優は桑島法子。
- かおりん
- 榊さんに憧れている少女。アニメ版の声優は野川さくら。
- 谷崎ゆかり
- ちよちゃんたちのクラスの担任。担当科目は英語。教師とは思えないほどの奔放な性格で周囲の人々を振り回す。にゃもとは高校以来の付き合い。アニメ版の声優は平松晶子。
- 黒沢みなも(にゃも)
- 体育教師であり水泳部顧問。ゆかりとは対照的な常識派だが、それゆえいつもゆかりに振り回されている。ゆかりとは高校以来の付き合い。アニメ版の声優は久川綾。
- 木村
- 古文教師。学校ではかなり変態的な言動をしているが、学校の外では意外にも善人の鑑。しかも綺麗な奥さんと利発そうな娘を持つ。アニメ版の声優は石井康嗣。
- 忠吉さん
- ちよちゃんのペットのピレネー犬。人ができている。フランス人。
- ちよ父
- すべてが謎に包まれている。榊さんにとっては可愛いらしい。はじめは彼女の夢の産物と思われたが??
[編集] 用語
- ちゃうねん
- 大阪の口癖(?)
- ボンクラーズ
- 智、神楽、大阪の3人のグループ名。
- へーちょ
- 大阪のくしゃみ
- おひゃあ
- 智ちゃんの朝の挨拶
- シュークリーム分
- シュークリーム分はシュークリームに含まれている。これが不足すると集中力が低下するという。
わたくしも参加しだした当時は同様のことを考えていましたが、オペラフィガロの結婚を見たら認識が変わりました。一度みてください。キャラクターの説明を本文にするか、記事として分けるべきかは微妙な問題ではあると思います。0null0 00:56 2003年10月15日 (UTC)
- キャラクター名と俳優は映画に関しては基礎データの内と考える傾向があるように思います。アニメもそうしてもいいかな、と思います。また、一般用の百科事典ではなく文学の研究者のための事典の中にはあらすじや詳細な分析などを含めたものがあったように思います。何を事典と呼ぶべきかにもよりそうですが。まあ、この記事のキャラクターや用語の解説は非常によく書けているわけではないですし、どう発展するものなのかは必ずしもよくわかりませんが、優れた記事がこういう情報を含むことはありうると思います。Tomos 05:39 2003年10月15日 (UTC)
キャラクターについて追記したのは僕ですが、どうも納得できません。
漫画やアニメ、小説について、その登場人物に関しての記述は不要だというように読めますが、架空の人名一覧にあるいろいろな登場人物の記事も全て要らないということでしょうか。
個人的にはそんなことはないと思うし、架空の人名一覧という一覧があって、アンリ・バンコランやアムロ・レイなどの記事が存在することからも、これまでそういうのは「あり」だと見なされてきたと思います。
あずまんが大王は4コマ漫画であってストーリー展開もはっきりしているわけではないのであまり例として相応しくありませんが、それぞれのキャラクターについて生い立ちや作中での行動について十分書くことがあるのなら、それを書いていけない理由が「百科事典の建前上」というのでは弱いと思います。(そもそも「百科事典の建前」って何でしょう?)
「あまりにファンサイト的である」というのは、たまたま記事があずまんが大王だからであって、例えば源氏物語の記事の中で多くの登場人物について書くのはあまりにファンサイト的なことなのでしょうか。それは、悪いどころか、むしろ書かれるべきことではありませんか?
そういったことを考えると、「あずまんが大王について各キャラクターの紹介をするのは不適当」だというのなら、まだ納得はできますが、それを「文学作品」にまで言及しつつ、「百科事典なのだから登場人物の紹介を記事に含めるのは不適当」、と広げるのは到底受容できる意見ではありません。
で、次に「あずまんが大王について各キャラクターの紹介をするのは不適当」に対する反論。
そのような意見になる理由がいろいろ考えられますが、まず、「4コマ漫画であってストーリー展開もはっきりしているわけではない」から、つまり書けることが少ないように思うから書くな、というのは理由として弱いでしょう。
実際に、書けることが少ないように思えるような記事が日々生まれて、多くの人の編集を経て立派なものになっていたりします。
みんなが少しずつ持っている知識を寄せ集めていくことで十分立派な記事になるというのがこのプロジェクトの面白いところなのではないでしょうか。
また、例えば数年前に雑誌何とかに発表された誰々の短編に出てくる3人の登場人物誰それについて、なんていうマイナーな登場人物なわけではなく、アニメ化され、DVDも発売され、ラッピングバスが登場し、O-157のポスターにまで採用されているようなキャラクターについてなら、誰かしら何らかの情報を加えることができるはずだと信じます。
次に、どうせ書いたところで「ファンサイト」にしかならないから、という理由も考えられますが、これもよくわかりません。(ま、「用語」については筆が滑ったというやつで、これはファンサイトだと言われても仕方ありませんが)
例えばノート:ホッチキスでFalcosapiensさんがおっしゃっている「未知の事実に関する正確かつ多様な情報を得るためのものであるという百科事典の性質上」という言葉を引用すると、各登場人物の情報は百科事典を引いた際に得られる「多様な情報」の一つだと考えられますし、ノート:大阪大学共A掲示板でTomosさんがおっしゃっている「英語版で特に議論を呼ぶのは、フィクションの登場人物などのようだという印象があります。(中略)記事としてしっかりしていればよいと思います。」を引用するなら、「記事としてしっかりしている」つまり、上で書いたような各登場人物についてのさまざまな情報を「正確かつ」「しっかり」と書けばそれについての記述は、(ファンサイトではなく、百科事典として)「あり」だと考えます。
でもお前は「しっかり」書いてないじゃないかと言われそうですが、それについては前述の通り、みんなが少しずつでも書き加えながら作っていくプロジェクトだという認識と、他の人が後は書いてくれるだろうという信頼があるから今の状態で投稿したわけで、決してこれが完成だとは思っておりません。
あと考えられるのは、「あずまんが大王のようなオタク作品についてさらに細かいオタク情報など不要だ」という理由ですかね。
どう考えるかは人それぞれでしょうが、僕は、あずまんが大王が、アニメ化され、(中略)O-157のポスターにまで採用されている、それだけの社会的影響を与えた作品であるのだから決してオタク作品ではなく、そして、その登場人物の紹介が、あずまんが大王について調べた人が得るに相応しい多様な情報の一つであると認識しています。
最後に、もし「百科事典の建前上、作品の登場人物の紹介は記事に含めない方がよい」というのが、単に「あずまんが大王の記事の中にキャラクター紹介があるよりもそれぞれのキャラクターごとに記事があるほうがよい」という意味であるのなら(そういう意味には文脈上読めませんが)、それについての反論は、まだそれほど書くことがないから、です。各キャラクターについて詳細な紹介や考察が投稿されたら、そのときに分ければいいと思います。Carbuncle 05:55 2003年10月15日 (UTC)
- 個別的な判断についてはCarbuncleさんにほぼ同じようなのですが、ちょっとフォローめいたものを。
- ウィキペディアは何でないか、の中には「ファンの賛辞や批判のためのページ」ではない、とあり、そこには人物伝や芸術作品についての記事が支持されます、と記されています。これは「娯楽作品についての記事は余り奨励されません」とも読めるわけですが、この部分は誤訳の可能性もあるかと思います。原文は、人物伝や芸術作品について書く時には百科事典の記事らしく書いて下さい(賞賛や批判を書くのではなく)という旨の記述になっていますし、その方が意味が通ると思います。
- ただ、情報の移動をされた方もこの記事を執筆していたわけですから、娯楽・芸術がどうということではなく、単にCarbuncleさんの投稿が、(特に用語の部分から)ウィキペディアの漫画関連でちょくちょく見かけるあまり百科事典らしくない投稿のひとつだという印象を持って、ちょっと注意を促そうと思ったという程度の行き違いかも知れませんが。ちなみにこの記事は、漫画作品を扱った記事の中では珍しく記述がしっかりしていると思いました。Tomos 07:17 2003年10月15日 (UTC)
登場人物紹介の項を移動した者です。どのような意図でこの項を本文から外したのか説明し、立場と争点を明確にしようと思います。
私の(個人的な)考えでは、百科事典とは
- ある項目について「専門でない人も含めて誰もが」「その項目が様々な物事の関連の中でどのような位置にあるのか」を知るためのもの
です。つまり、あずまんがの記事は「ファンでない人も含めてみんなが」「あずまんがとは大体どのようなものなのか(全体像)」を知るためのものであるべきだと思います。辞書のような説明ではいけませんし、逆に詳しすぎるのも不適当でしょう。
そして、私は(あずまんがに限らず)作品の登場人物紹介という概念自体が百科事典にはそぐわないと考えています。その根拠は、
- その作品を知らない人が、個々の登場人物の名前や性格に興味を持つとは思われない
- 個々の登場人物についての記述がなくても、その作品の全体像を説明することはできる
というものです。
以上が、人物紹介を移動した時点での私の立場と意見です(今はフィガロで考えが一部ゆらぎ始めた)。
おわび。私はこのノートの冒頭を「本文の注釈」的な意識で書いたため、口調から断定的・高圧的な印象を与えてしまったかもしれません。しかも署名の仕方すら知らずに・・・。不快を感じた方、ごめんなさい。もらとりあむ 11:59 2003年10月15日 (UTC)
考えを整理するのに時間がかかってお返事が遅くなってすみません。
いろいろ考えた結果、意見の相違はそれぞれの百科事典観・Wikipedia観のズレから発生しているという結論に達しました。 そこで、僕もWikipedia観を提示してみたいと思います。
- 誰でも編集に参加できる。
- →書きたい人が書きたいと思ったことを書けばよい。それについて直したい人が直せばよい。その繰り返しによって、記事が充実する。そしてだからこそ、全ての記事に完成というものがありえない。
- インターネット上で公開されている
- →つまり、大部の書物を高価な金銭をなげうって購入し手元においておく必要がない。すなわち、読みたい記事だけを手軽に読むことができる。
-
- →そしてその「手軽さ」ゆえ、どのような人がどのような目的を持って読むかわからない。例えば、小泉純一郎氏の出身高校を知りたくて読む人もいるだろうし、自分の誕生日と同じ誕生日の有名人を調べたくて読む人もいるだろうし、極端な話、セーラームーンの必殺技の名前を知りたい人や、あずまんが大王のちよちゃん役の声優が誰だか知りたい人、「トリビアの泉」でこれまでに紹介されたトリビアの一覧を知りたい人などがいたところで、不思議ではない。
- もちろん、Wikipediaがそこまでの詳しい(言ってみれば「濃い」)情報を提供する必要はないが、それが存在したとしても、その情報を求めている人がいないと言い切れない以上、その情報を削除すべきではない。
- 紙製ではないので量的な制限がない
- →いくら詳しくてもよい。詳しくて読み応えのある記事が存在すること・全ての記事に将来的にそう発展する可能性があることが、この百科事典の特長。
- そして、上で述べたような「細かい」情報を求めて調べに来た人が、載ってないことを残念に思い、「誰でも編集に参加できる」事を利用して他のソースで調べたその情報をWikipediaの記事に反映したとしても、それはその人が情報価値があると認めて書いているわけだから、他人がそれを情報価値がないとして削除してよいものではない。
- (もちろん例外はあって、例えばある人の近所の公園で観察された昆虫の一覧、のようなものが必要かといわれれば、おそらく大部分の人にとってそれは情報価値がかなり低いと思われる。この辺りのバランスはなかなか難しいが(例えば削除依頼に出ているアムサイトや村中巧がまだ削除されていないのはその辺りの情報価値判断を下しかねていることに由来するのだろう)、Tomosさんが何度かおっしゃっている「1000人ルール」は参考になる。)
まとめると、ウィキペディアは紙製ではなく、インターネット上で公開されており、検索機能がついている。さらに気づいた人が書き換えることができる。これは、必ずしも従来の(紙製で、お金を出して全体を買うか図書館まで足を運ばなければならず、検索機能が充実していない、「完成」した)百科事典と同じ読まれ方をしないことを意味しているはずです。
そして、需要が同じでない以上、供給も同じである必要はない(だから「百科事典の建前」に制約されなくてもよい)と思うのです。
いろいろとつっこみどころもあるでしょうが(一番つっこまれそうなのは、将来の記事の発展について楽観的過ぎるところでしょうか)、これが今まで3ヶ月ぐらい編集に携わる中で感じ取ってきた僕のWikipedia観です。
だから、登場人物の紹介は(おそらくどのような作品についても)それだけで情報価値を有した記述であると考えています。
さて、個人的なWikipedia観とは少しはなれて、このあずまんが大王のケースについて考えますが、この記事の場合、冒頭で「特に前者(登場人物の強烈な個性)の魅力は大きく、連載の終了した今なお登場人物の固定ファンは多い」と書いてあることから、まったく知らない人でもその個性あふれるキャラクターとはどのようなものかに興味を抱くのは当然だと思います。ならばそのキャラクターについて紹介するのが親切だと思います。
この場合、人物紹介は「その作品を知らない人が、個々の登場人物の名前や性格に興味を持」ったから読まれるわけではなくて、作品の全体像の重要な部分をキャラクターの魅力が占めるという記述に興味を持ったことによって読まれるわけです。ちゃんと全体像の説明たる記述としての有用性は備えているように思うのですが、いかがでしょう。Carbuncle 13:43 2003年10月16日 (UTC)
あずまんが大王に限らずマンガやアニメ等はキャラクターが一人歩きするということはよくあることで、作品はよく知らなくてもキャラクターは知ってるということはよくあることだと思うのですが。
ピカチューなんてポケモンは知らなくても孫が持ってるヘンな黄色い人形と認識してる高齢の人もいるだろうし、簡単にでも登場人物の紹介があってもいいんじゃないかなと思います。藤井イサナ 22:09 2003年10月17日 (UTC)
- そうですね。登場人物について少しのせておくのがいいと思います。210.230.239.86 23:45 2003年10月17日 (UTC)
-
- 少ないと思った人は追加していくと思いますし。210.230.239.86 23:47 2003年10月17日 (UTC)
お返事どうもありがとうございます。Carbuncleさんのウィキペディア論を読んで、かなり納得しました。従来の百科事典とは異なる、ウィキペディアならではの読み方というものがあるようですね。Carbuncleさんのおっしゃる方針はインターネット上での公開という特性を活かしていると思います。
今回のあずまんがの記事については、確かにキャラクタ紹介は本文の「キャラクタの魅力」を説明するために理に適っていると思います(一般的にマンガのキャラクタ紹介を百科事典に載せることには今でも反対ですが)。頑張って質の高い紹介文を書いてゆきましょう。
それと、誤解(?)を解いておきたいので一言、Carbuncleさんの「他人がそれを情報価値がないとして削除してよいものではない」について。私は人物紹介を「削除」ではなく移動しただけで、またその旨を本文に明記しました(実はノートに移してから自分も書き足すつもりだった‥‥)。私は「記事全体の情報量を減らさない」というウィキペディアのガイドラインに賛同しており、決してCarbuncleさんが加えた情報を消し去ろうと思ったわけではありません。だから怒らないでくださいね。もらとりあむ 13:12 2003年10月18日 (UTC)
- ただ、登場人物紹介を載せることによるネタバレは大きな問題だと思います。作中の具体的なエピソードは出すべきではないでしょう(ネコとか車とか)。もらとりあむ 14:03 2003年10月18日 (UTC)
あ、「削除」については誤解を生む言葉でした。すみません。決して怒っているわけではありません(^^; (ただ、「除去」というのも「移動」というのもしっくりこないので、このような行為を表す言葉が新しく必要な気もしますが)
ネタバレについてはWikipedia:ネタばれに注意という記事があり、「その内容の全てを明らかにして、人類の営みの中での位置づけを行わなくてはいけないような場合」はネタバレをしてよいが注意を喚起する文章を入れること、となっています。
> 頑張って質の高い紹介文を書いてゆきましょう。
そうですね、お互いにがんばっていきましょう。(実は今回の件で一番苦しんだのはその点についてでした。自分は人に胸を張ってこんなことを言えるほど質の高い記事を書いて貢献できているのか考えると、どうしても「ページを保存」ボタンが押せなくて...)
けれど、結果として自分のWikipedia観を考え直すことができ、決意を新たにすることができたのでよかったと思います。それもこれも、もらとりあむさんのおかげです。ありがとうございました。Carbuncle 15:28 2003年10月18日 (UTC)
203.165.49.30さん、やはり一度ノートで「あずまんがの記事には登場人物紹介を載せよう」ということになったのだから、これを無視してムリヤリ削除しても支持は得られないと思います。意見があるならノートに書いてください。誰かが意見を書けば、皆さんがそれをちゃんと読んで考えて、支持であれ反対であれ意見を返してくれます。紹介を載せないほうが記事を改善することになると思うなら、そのことを説明するべきです(私の文章をコピペするだけではオソマツ過ぎますよ)。大人げないイタチゴッコはやめにして、建設的に話し合いましょう。 もらとりあむ 18:04 2003年10月20日 (UTC)
基本的にノートの改変はやらないほうがいいのでしょうけど、一番上の人物紹介を最新版に差し替えておきました。リバートのたびに最古版に戻るのは忍びないので‥‥。ちなみに最古版はコメントとして残してあります。 もらとりあむ 15:51 2003年10月24日 (UTC)
作品についての説明が長すぎるので、1段落目を残し、残りを「概要」という新しい見出しにするのはどうでしょうか?--Mois 2005年10月23日 (日) 16:40 (UTC)
「ねここねこ」が「子子子子子」、「ねねここねねこ」が「子子子子子子子」と書けるのはたまたまなんでしょうか。そういう古文があったような気が。--218.231.236.236 2006年4月21日 (金) 08:19 (UTC)
[編集] 黒沢みなもの紹介について(多少のネタバレ含む)
学力に関してみなもは谷崎ゆかりよりも低いという記述がありますが、総合的な学力は不明ではないでしょうか? 合宿時にゆかりは英語をすらすらしゃべることができ、みなもは数学を教えることができなかったために、みなもの学力はゆかり以下となったのでしょう。しかし、ゆかりは英語教師で、みなもは体育教師です。また、作中に関してゆかりは英語を教える部分しかありませんし、数学を教えようとしたこともありましたが、途中で投げています。 英語に関しては英語教師であるゆかりに分があるとしても、総合的な学力は同レベルと考えてもいいのではないでしょうか?
[編集] 登場人物項について
現在の記述は総じて冗長だと思います。百科事典による創作物の人物紹介に、「何をした」という説明は必要でしょうか? 「何である」があれば十分ですし、未読者が人物概要を掴むには余り長すぎないほうが良いかと。(既読者が知識を確認しあって満足するための記事ではないのですから。)東京外国語大学生 2006年11月20日 (月) 13:15 (UTC)
- おおむね賛成です。気がついたらキャラクター個別に記事が作れそうなほど(少々大げさ?)の量になってしまっています。ひとまず修正依頼にはかってみることにします。--Avanzare 2006年11月20日 (月) 13:35 (UTC)